【前回のこと。】
これは完全なる続き物ですので、前回分が読みたいという奇特な方は、記事テーマから”シリーズ「私」”で探して下さい。
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【高校へ。】
行きたくもない高校に行かざるを得なくなったわけだが、それでも悪いことばかりではなかった。
ゲーセン通いを通じて、また新しい友人と付き合い始めた。
当時は「対戦格闘」のブームが始まった頃で、
・ストリートファイターⅡ
・ワールドヒーローズ
・龍虎の拳
・餓狼伝説
等のタイトルがぞくぞくと出ていた頃だ。
私は高校3年間を、彼らとべったりで過ごすことになる。
いずれにしても、ここではそういう話はどうでもいい。
この頃には、父の事業はなんとか形になっており、副業なしで事業に専念していたと思う。
主に女性の服の飾り部品を手作りするという事業だ。
男性にはわからないかもしれないが、
コサージュとか、飾りボタンとか、服につける薔薇とか、そういったものだ。
従業員さんもいくらか抱え、家内制手工業の延長線上にあるような、そんな事業だった。
業況の良い時は、裕福になった。
贅沢をしていたわけではないが、余裕のある生活だった。
家庭教師をつけてもらっていた時期もある。
高校生なのに、月に小遣いを2万円ももらっていた。
当時としては多かったんじゃないかと思う。
まあ、ほとんどがゲーセンで消えていったわけだが。
しかし一方で、事業がうまく行かない時期もあった。
従業員さんと給料の未払いでもめていたことを知っている。
最悪な時は、家の電気やガスが止められるところまで行くこともあった。
そんな時でも、小遣いは2万円あった。
当時はよくわからなかった。
今考えたら、おかしいにもほどがある。
こんな調子だったが、それでも私が高校に3年間通う間は、ふらふらしながら事業は続いた。
私は、家のこういう状況を見て、経営学を学ぼうという気になった。
特に将来の夢はなかったが、父の仕事ぶりを見るに、商売をきちんと学んだ者がサポートするべきじゃないか、と思ったからだ。もちろん、家が裕福な状態でないことはわかっているので、国公立の経営学部のある大学が本命ということになった。
また、私は独り暮らしをして見たいという希望と、別れた母の所在を知りたいという気持ちがあったので、専ら関西の大学にこだわった。
当時目指していた本命大学は、大阪市立大学だった。
学力はギリギリ。正直、チャレンジだった。
受験シーズンになり、はじめに私立大学の入試が始まる。
私にとって私立は全てすべり止めというか何というか、とにかく本命ではなかった。
もし万が一、国公立が全滅、という時に行く大学がどこになるのか、ということだった。
数だけは結構受けた。
立命館×6を軸に、近畿、大阪経済、大阪経法だったと思う。
結果は・・・・・・。
近大1本しか受からなかった。
まあ、受かっただけいいじゃないか。
これで浪人しなくて済むんだ。
経済的な面から考えても、浪人という選択はなかったから。
さあ、これで安心して国公立を受けれるぞ、と。
思い切って大阪市立大にギャンブルできるぞ、と。
そう思っていた時期が私にもありました。
父「あのな、近畿大学の入学金の支払期限よりも、国公立の合格発表のほうが後らしいぞ。」
厨「・・・・・で?」
父「金がもったいないから、近畿大学の入学金、払わんわ。」
厨「ちょっ・・・ぇぇぇぇええええええええ!お、落ちたらどうすんの?!」
父「落ちたらイギリスに留学させてやるから、心配するな。」
厨「いやいや、まったく求めてへんし!」
このようないきさつで、私は、国公立受験に「チャレンジ」はできなくなった。
ド本命の大阪市立大学を諦め、受かるであろう某国立大学に受験方針を切り替えることになった。
これまた行きたい大学ではなかったが、しかたがない。
何せ、退路を絶たれてしまったから。
紆余曲折あったが、方針変更した某大学には無事合格でき、
春から某県で一人暮らしをすることになった。
「近大入学金未払い事件」があった、なかった、という分岐で、
その先の私の人生が変わった、などとは思わない。
だから、それについて、恨み言などない。
でも、市大にチャレンジをしなかった、何かをかけて一生懸命やらなかった、
そういうプロセスが、その後の私の人生に影響を及ぼした、とは思う。
(つづく)