【プロローグ。】
いつかは書こうと思っていたが、今日、書くことを決めた。
いや、書き始めることを決めた。
ペースはゆっくりでも、ちょっとずつ書いていこう。
2012.10.4 23:45頃、そう思った。
できるだけ一般記事で書いていくことにする。
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【生まれ。】
1970年代のある年、ある月、ある日。
岐阜県のとある町で私は生まれた。
父はトヨタの営業マンをしていたようだ。
祖父は警察官。敏腕刑事だったと聞いている。
そんな家に私は生まれた。
比較的裕福だったようだ。
記憶はほとんどないが、立派な土地つき一戸建てを2軒所有しており、
祖父と父がそれぞれの家に住んでいた。
私はたいそう祖父にかわいがられていたようだ。
おぼろげな記憶ではあるが、祖父の家の記憶はあるが、父の家の記憶はほとんどない。
散歩中に乳母車から落ちて頭を打ったという話を聞くが、よくある話だ。
祖父は刑事だったことは先に言った。
当時の岐阜県知事にとてもかわいがられていたという話を聞く。
しかし、政治家は選挙に負けるとただの人。
かわいがってもらっていた知事が落選すると、祖父は岐阜県の中でも北の寒い地方に行かされることになった。
これを不服とした祖父は、岐阜県警を飛び出すことを決めた。
とはいえ、何か職のあてがあったわけではない。
これからどうしようか悩んでいたところに、ある人たちから声がかかった。
「あなたの名前を貸して欲しい。あなたの名前があれば、許可は簡単に降りるんだ。」
韓国か朝鮮の方々だったようだ。
パチンコ店を出したいが、当時は情勢が厳しかったのだろう。
祖父の刑事としての名前があれば、許可は出やすかったんだろう。
我々一家は、結果的に彼らに助けられた。
新たに生活の糧を得ることができた。
その時から、祖父はパチンコ店のオーナー、父はパチンコ店店長、母はカウンタースタッフになった。
私の家はパチンコ屋になった。
もちろん、正確には違う。
祖父の経営するパチンコ店の2階が、我が家になったのだ。
私の記憶にはないが、祖父は愛知県下で数軒のパチンコ店を経営していたそうだ。
この頃はずいぶん裕福だったのだろう、きっと。
私の記憶が明確なのは、幼稚園時代。
愛知県岡崎市のパチンコ店が我が家だった。
私立の幼稚園に通っていた。
相変わらず、祖父にはかわいがられた。
休日には社寺仏閣によく連れられていった。
毎日のように喫茶店に連れて行ってもらった。
喫茶店では、シロップ漬けのさくらんぼばかりを食べていた。
毎日、祖父と祖母の間で寝ていた。
この頃の父と母の記憶はほとんどない。
幼稚園の年長さんになった私は、私立の小学校を受験することになった。
もちろん、自らの意思ではない。
高い所が嫌いな私は、毎日、のぼり棒に登らされては泣いていたように思う。
入学試験にあったのだろう。
結局、私は試験をパスしなかったようだ。
岡崎市の某小学校に入学した。
この頃は、本当に平和だった。
この頃は、本当に裕福だった。
この頃は、本当に幸福だった。
(つづく。)