私は、どんなに前立腺がんが苦しくても最後まで生き続けます | 余命3年の前立腺がんとの闘病日記

私は、どんなに前立腺がんが苦しくても最後まで生き続けます

私は、1年前に、余命3年を宣告された、59歳の、前立せんがんの末期の患者です。それこそ最初は効果があった、ホルモン剤も、それこそ手術できずに、病巣は残ったままなのですから、それこそそろそろ効果がなくなってきました。
 そんな時に抗がん剤を使用しだしたのですが、それはもちろんがん患者がみんな言う通り、それこそ副作用、それこそ吐き気を中心とした副作用が出てきたのです。そしてそれでも今は、抗がん剤は軽いものを使用していると主治医は言います。そんな時に、それこそこの抗ガン剤も、効かなくなってきたら、さらに強い抗がん剤を使用しなければいけないといってきたのです。そんな時に、それこそただ苦しむだけの闘病生活がなのです。それこそ何の価値があるのかと思うようになったのです。
その時に、それこそ私は何のために生きているのか。それこそは人類の進化のためだと思うようになったのです。それは1リットルの涙の木藤彩さんの本を読んでからそう思うようになったのです。
 それこそ彩さんは、15歳の時に、脊髄小脳変性症という進行性の病気が発病したのです。そして彼女の病気はどんどん進行していき、20歳の時には、自分で歩くことも、しゃべることも、食べることも、排せつすることも何もできなくなったのです。そして彼女の主治医は、彩さんに、あなたの病気は悪くなることはあってもよくなることはない。そして病気は確実に進行していき、彩さんは数年以内に死ぬと、死亡宣告をしたのです。
 しかし主治医は同時に不思議なことを彩さんに言ってきたのです。それは彩さんにリハビリをさらに頑張るように言ってきたのです。それこそどんなにリハビリを頑張っても、病気の進行は妨げることはできず、数年以内に死ぬことは避けられないといってきたのになのです。それこそ闘病性格は苦しいのに、なぜさらに効果がなく苦しいだけのリハビリをしないといけないのか。
 それこそは、リハビリで、彼女が死ぬことは免れない。しかし確実に言えることは、リハビリを頑張ることで、それこそ彼女は1日でも死ぬ日を伸ばすことはできるということなのです。それならば、その最後の生き延びた1日でなのです。それこそ彼女の病気、脊髄小脳変性症を治す画期的な薬ができることが可能だということなのです。そのために彼女はリハビリを頑張らないといけないのです。そして現実的に、彩さんの主治医も、この脊髄小脳変性症の画期的な治療薬の開発のために、毎日、睡眠時間、3.4時間で頑張っていることを言ってきたのです。
 これは決してお花畑の理論ではないのです。それこそ障碍は不便だが、不幸ではないとか、神様は、彩さんならばこの病気を乗り越えることが可能だと、この病気を彩さんに与えたとかそんな気休めな理論ではない。それこそ言いたくはないが、彩さんは20歳の若い女性なのに、それこそ糞便を垂れ流すことが、不便だが不幸ではないとは思はないでないでしょう。それこそ重度の病気は不幸なので、患者は病気を治そうと努力をするのです。
 しかしなのです。それこそ彩さんが不幸と思おうが思わないのは勝手だが、彩さんが、その苦しみに負けて自殺をする。さらにナチスみたいに、国の役に立たないからと彩さんをガス室に送るのは、倫理的に許さないのではない。そうではなく、その虐殺行為は現実に人類を破滅させるからです。
それこそこの世から病者や障碍者を抹殺するとなのです。それこそ医師、医学、薬学、製薬メーカーの存在が全くなくなるのです。それこそ医師や薬剤師が存在するのは、それこそ病者や障碍者が存在するからなのです。それこそ病者が生産性がないから国に必要ないのなら、それこそ医師、製薬メーカーは、それこそ必要がなくなるのです。
 ただ私は、医師は私の病気を治療する権利があると傲慢なことを言うのではないのです。そうではなく、それこそ人類は、世界からあらゆる病気や障害をなくそうと進化しているということ。それなら私が抗がん剤の副作用がどんなに苦しくてもなのです。それこそ確かになのです。それこそこの国の進化のために病気と闘い続けないといけないのです。そしてお花畑の理論ではなく、それこそ私は余命3年でも、それこそ生きていれば、それこそ最後の1日で、私の前立腺がんを治す薬が開発される可能性があることは確かなのです。それこそ人類はいつか進化して、この病気を治す薬を開発することは可能だからです。