いじめはどうして、被害者にも責任があるの
私は今回の乙武さんの事件を見て思うのは、彼の不倫はほとんど問題ではないということなのです。それこそは乙武さんの妻の、「彼の不倫は、私にも責任がある」といった、謝罪文がなのです。それこそこの国の、国民の怒りを買い、それこそ自民党から出馬が確定し、しかも当選は99パーセントの確立だった彼を、出馬断念に追い込んだと理解してほしいのです。それはなぜか。
それこそはいじめの原因はなのです。その自殺事件が起きるたびになのです。それこそは被害者になのです。原因の一つはあるということをなのです。それこそは言いたいのです。それは、それでいいならなのです、どんな凶悪な犯罪でもなのです。被害者にも責任があるというのか。それは確かになのです。セキュリティをなのです。万全にいしていなかった。それが故に銀行の金庫から大金を盗まれた。それで犯人は、多少でもなのです。責任が軽くなるでしょうか。それこそは悪いのは銀行だといえるでしょうか。
それが故になのです。私が言えることはなのです。それこそは、いじめにしてもなのです。それこそどうしてなのです。加害者にも責任があるといえるのか。それこそは子供を神格化すること。それこそ子供の世界は神聖なもの。それが故に、子供を犯罪者にしてはいけない。それが故になのです。子供がいじめを起こしても、それを責めてはいけない。それこそはむしろ、そんな神聖な世界を汚すのはなのです。いじめの被害者の方だということになるのです。それが今回の乙武さんの事件にも言えるんです。
それこそは乙武さんが、何人と不倫をしようが関係ない。それこそは2チャンネル当たりのネットユーザーが騒ぐだけなのです。しかしなのです。この妻にもなのです。自分からなのです。この不倫の原因があった。それは絶対になのです。言ってはいけなかったのです。それこそは自分が夫が不倫をしようが気にしない。それが故に、周りの人はうちの身内のことになのです。とやかく言うことは辞めてほしいとは言ってはいけないのです。
それはなのです。児童虐待でなのです。自分の子なのだから、似て食おうが、焼いて食おうがなのです。それこそは親の自由。それこそ人の家庭に入ってくるなということと同じなのです。ただこの場合、いじめに言えることは、この何らかの悲劇に対してなのです。被害者にも責任があるということ、それは大昔から言われて生きたことなのです。それこそは強姦事件でもなのです。それこそは女性にスキがあったら起きたということ。
それこそは20年ほど前になのです。ニューヨークのセントラルパークでなのです。一流企業の女性が、深夜のジョギングをしていた時に、黒人の少年、7人に襲われ、強姦された上に暴行され、意識不明の重体になった時、それこそ黒人の女性はなのです。この女性は、強姦されることを考えなかったのか。それこそこの女性にも責任があるのではということを言う人が多く、それこそ世界中の非難を浴びました。
それが故になのです。私が言えることはなのです。それこそはいじめの原因はなのです。被害者にも責任があるということなのです。それなら、どんな犯罪でも、それこそは被害者にも責任があるのか。それは今の少年法などではなのです。それこそ被害者は、名前も年齢も全て報道される。それに対して、加害者はなのです。すべて隠してもらえるということなのです。この不条理をなのです。私はあなたとなくしたいのです。