去年の夏

 

ニュープロパッチが、ただでさえかゆいのに、夏の汗のせいで余計かゆくて、

しかもかぶれてどうにかして欲しかったので、飲み薬に変えてもらった。

そこで、レキップ殿と出会った。

自然に馴染んだ。ただ、ニュープロパッチより、少し弱い気がした。

今年の夏は、薬剤師さんからは引かれるけれど、ドクターから教授して頂いた

禁じ手のお陰で、太もものみ、かゆみが出ない状況で、使用ができている。

ニュープロパッチを。

 

1年経ってしまうと、レキップ殿を、1錠飲んでいたのか、2錠だったのかすら、忘れてしまっている。。

 

この先、いつ、私の皮膚が、「もうボロボロ、ムリ」と、訴えてくるか分からないので、

レキップ殿とは、付かず離れずの関係を続けていたいと思う。

 

ところで、自分の未来を、病気という形で宣告された場合、ヒトは、何を考え、どう受け止めるのか。

 

今は、そうは思わないけれど、パーキンソン病を宣告された時、まだ、完治の可能性のある、

ガンの方がマシじゃないかと思った。実際、弟に最初にカミングアウトした時も、弟もそう言った。

 

間もなくガンと宣告されるかも知れない母。

しかも膵臓だなんて、わざわざそんな場所に。

どんな気持ちなんだろう。

そして、病状が悪化して、死に向かっている時。

その方々は、何を考えているのだろう。怖いのかな。悲しいのかな。無念なのかな。

死に向かっているという、実感って、感じるものなのだろうか。

不思議と、聞いたことが無い。

 

私は?

私はまだ、漠然と、パーキンソン病なんだって事は理解しているけれど、

吞気だからか、バカなのか、まだ、実感として感じれていない部分がある。

実際、今、右足なんて、殆ど思うように動かないし、もう二度と動く事も無いのに。

多分、左がまだ頑張ってくれているからだと思う。

インターネットの動画で、たまに、先輩方の姿を拝見するけれど、

失礼は承知で、感じる事は、誰がどう見ても、何か脳の病気だなって分かる顔つきをしている。

しています。

私も、例外なくいずれ、あのようになる。

先輩方の表情から、感情がくみ取れない。

あーいう姿になっても、命は残るから、それでも生きていくのか。

他人からお風呂入れられて、介護してくれる人次第では、、、という事考えると、

本当にイヤだ。

だったらいっそのこと、動かなくなるなら、この世からもリタイヤできるガンの方が。。などと。

精神論側からモノ言う人からしたら、トンデモないことを言っているだろう。

でも、私は思う。

上記に反論できる人は、その立場に居ない人か、最終解脱者だ。

 

今日は、じんましんがひどかった。

お昼から。

慌てて、薬飲んだ。

今年の夏は、じんましんに悩まされそう。

 

ここで、仮説のまた仮説が生まれる。

 

じんましん

若年性パーキンソン病

メニエール病

 

全部自律神経じゃない?

 

私の病気の大本は、自律神経じゃないの?

自律神経を整える事が出来たら、これらの病気は、根っこで繋がっていたとしたら、

それを全部解消されるのでは?

なんて、色々細かいことを考えるのが苦手な私が思いつく、アホな夜。。