今回は「死生論」をちょっと綴ってみようかと思います(再開後いきなり重いネタなのは、ただの偶然)
家で購読している新聞で「男と女の間には」の次の連載が「患者を生きる」てコラムだった
これは、「癌患者の生き方」みたいのを、毎回違う患者さんを題材に綴っているんだけど、これを読んで、「死」についてちょっと考えさせられました
癌だと告知されるということは自分の人生の残り時間を知らされるようなものじゃないですか?
具体的に「余命何年」とか言われなくても、癌であるというだけで、あと長くはないなと大体分かる
そして、そのあとには選択がある
手術をするのかしないのか、抗がん剤を使うのか使わないのか、放射線治療をするのかしないのか、入院し続けるのか家に帰るのか、
こういった選択は、自分一人だけの意志ではできまい。家族の意向もある。でも、自分の人生、やっぱり自分で決めたい・・・
そして、運よく完治すればよいが、もし完治しなかったらどうなのか?
いつか、必ず「死」が訪れるわけだ
いつか、必ず訪れる「死」をはたして、「すんなりと」受け入れられるのだろうか?
末期の癌患者は具体的に人生の期限が分かっている
ゆえに、それまでに出来る限りのことをして、悔いを残さないように死ぬために努力をすることが出来る
悔いのない死を迎えるために、生きていくことが出来る
でも、この世に生きるものはみな産まれたその瞬間から死ぬことは決まっているのだ(まだ、不老不死は完成していないですからね)
つまり、誰しも必ず「死」が訪れるのだ
その「死」の瞬間に何を思うのか?
すんなりと「死」を受け入れられるのか?
悔いのない「死」を迎えられるのか?
満足な一生をいきぬくことができるのか?
ここ何年か、身近な人達を失ってね、看取った人はいないんだけど、何人かは「死の直後」に居合わせることになってね。
目の前で、親しい人の「死」を見ると、「死」について考えるようになってね。
やがて、親も死ぬでしょう。そして兄弟が死んで、自分が死ぬ。その「死」を受け入れられるのか?
「死」ってなかなか受け入れづらいけど、だれしも必ず死ぬんです。親しい人も。愛おしい人も。
その、一つ一つの「死」をしっかり受け止めて、受け入れることが残されたものの命題なんだと思う。
そして、(人生の)最後に「自分の死」を迎えるわけだ。これを、すんなり受け止められるように、(自分にとって)よかったと思える人生を生きていくのが、生きているものの命題なんだと思う。
なんだか、なにが言いたいのかよく分からなくなったな・・・
君の人生に幸多きことを
読んでくれた人、サンクス。長々と自分論失礼しました。
今日もポチっとしまくってもらえたら、喜びます
(携帯はごめんなさい非対応です。お気持ちだけでもいただけたら・・・)
今回からちょっと早めに11月バージョン。あー温泉行きてー
