今は毎日仕事に忙しいたのです。

けれど、こんな日がいつまで続くことやら・・・と思うこともある。

 

我は働くということに何の意味も見いだせないまま学校を卒業したのは、

2002年のことだった。

 

そこから現職にたどり着くまでは6年かかったが、

スキルが何もない我は誰でもできることをしているに過ぎないと。

最低賃金に毛が生えた程度でも、

この業務の質量では貰いすぎではないか。

 

そんな思いがよぎりながらも

10年以上続いているのは、

我にとっては奇跡だ。

 

いつニートになってもおかしくない心身を持ち、

仕事にも息切れをして、

このブログを立ち上げても、

内容は稚拙かつ、更新もなかなかできていない。

 

閑話休題

ニートになったことがない我。

ニートとは、一口に言っても人それぞれ。

我の思うニートが世の中のニートに合致するかはわからない。

 

 

………………………………………………………………

No.928 空きビンの希望

 

今日が終われば明日来る

明日になれば変わるのか?

心・体よそれまでの

溜まった滓(おり)を流したい

答えはいつも見つからず

焦りは募る永久の問い

 

 

 

流したはずの空き瓶に

問いを託した手紙ある

誰か拾ってくれるなら

運命結びついたのか

海辺でゴミと思ったら

下手くそな文字そのままだ

 

 

 

戻った問いを握り締め

生きてる内に見つからぬ

答えを探す途中には

こんな夕暮れ待っていた

過去も未来も変わらない

ビンに封じた希望持つ

 

 

 

20120531

 

解説

 

  幼い日に、初夏に家族と海に行った。まだ泳ぐには、早い肌寒さ。父は言った。「父さんはな、お前と同じ歳の頃、空きビンに手紙を入れて、この海に流したんだ。異国の知らない誰かとつながってみたかった。お前もやってみるか?」空きビンを渡された。

 

我もやってみようと、手紙を喫茶店で、知っている字を全て並べて書いた。また海に戻って、ビンをひろい沖に投げた。引き潮に乗って、少しずつ海の彼方に流れて行った。

 

時は経ち、我は、ニートになっていた。親の勧めで、海の清掃ボランティアに参加した。家に引きこもり、鬱々としている我を見かねていたようだ。

 

ひたすら海のゴミを拾った。きれいな浜はこのような奉仕活動の元に保たれているのだろう。少しは、心のささくれが癒えてきたかも知れない…。

 

おやっ。錆びたビン?中に何か入っているようだ。なんだろう?開けてみよう…。

 

 

 

こんな架空の情景が、夕暮れの都道脇で缶コーヒーをすすりながら浮かんだ。

 

幼い頃に流した手紙を託した空きビンが、大人になって戻ってくる。正にタイムカプセル。

 

その空きビンは、希望になった。

 
………………………………………………………………
 
ニートではないが、心はニート。
そんな背景がこの詩には見える。
実際にそんなタイムカプセルが我にあったわけではない。
けれども過去に書いた詩を読むと当時の我の思いが見える。
 
ニートは働いていないと言われるが、
これからの働き方は多様性に富んでいる。
だからニートは色々な可能性があると思う。
 
 
 
たの