(映画ネタバレ注意)ハムネット
無茶な願いがテーマとなる映画です、これを観て私はまんが日本昔ばなしの「大工とねこ」を思い出しました、大工は目を悪くします仕事もできず生活は困窮し飼っているねこのタマに魚を買ってやることもできません、大工は藁にもすがる気持ちでタマにどうしたらいいかと悲痛な顔で相談します、するとその日からタマは寝ている大工の目を舐めるようになりました、来る日も来る日も舐め続けた結果大工の目が見えるようになりました大喜びで仕事も出来るようになったのですが、今度はタマの目が大工の代わりに見えなくなってしまいタマはそれっきりいなくなってしまいました、タマはいつも大工の帰りを橋のたもとまで迎えに行って待っていたので目が見えず川に落ちてしまったのかもしれません、タマは目が見えなくなることを知っていたのでしょうか?そこは分かりませんが主人の窮地を何とかして助けたい思いがあったのだと思います、大工は目が見えるようになってもタマが身代わりとなりいなくなったのでは喜ぶどころではありません、かといって悲しんでばかりではタマの恩に報いることができませんタマは大工を喜ばせたかったのだから、、大工はタマに罪悪感を感じていますタマは主人の無茶な願いを叶える為に身代わりになるという無茶な間違いをしてしまったのですがタマに罪はありません、大工は反省して悲痛な顔で無茶な願いをした罪を詫びるように今度は笑顔でいなくなったタマに話しかけます、もう無茶な願いなどしません日常での些細な出来事をいろいろと話して聞かせます、こうして話して聞かせればタマへの罪滅ぼしになるだけでなくタマの見たかった大工の笑顔も毎日見せてやれます「映画ハムネット」も「大工とねこ」も最後に寂しいような気持ちになるのは大工の罪の意識がわかるからだと思います
映画の題名はハムレットではなくハムネットです
息子の病気の異変に気づいてやれず息子を失い後悔と責任の重圧を感じて悲しみにくれる母親、その場に居合わすことができずに肝心な時に不在で遅れて駆けつけてきて何も知らずに悲しむだけの父親、母親はそんな後悔も責任もないずるい夫が許せずに夫の非難を繰り返します、そんな夫は家にいられず単身赴任で家を出て舞台の脚本の仕事に打ち込みます、しかし夫は息子を失ったのは私の責任だという罪悪感から逃れられずに苦しんでいました、夫は息子を失う原因となったある約束を息子と交わしていました「お前が家族を守るんだぞ」と言ったのは私がいない時は男はお前だけになるんだからしっかり頼んだぞと真剣に息子の目を見据えて言ってしまったことが悔やまれます、まだ小さな息子が本当に家族を守れるとは思っていませんそういう気でいてくれたら充分でたとえ何もできなくてもいいんだこれから段々と分かっていけばいい、、くらいな安易な気でした、勿論それは息子に説明していませんまさか本当に家族を守らなければならない事態になるとは思ってもみなかったからです、大人でさえどうにもならないと誰もが諦めたのに息子は私の無茶な約束を守る為に身を挺して家族を守るという無茶な間違いをしてしまいました、父親との約束を男の僕が果たさなければいけないと真に受けてしまったそう息子に思わせてしまった罪を父親は後悔します、息子に間違いはあっても罪はありませんですが身代わりとなって身を滅ぼす事が悲しい間違いだと気付かずにいま息子は「どうして悲しんでいるの?僕お父さんとの約束守ったよ」と褒めてもらいたくて前に進めないでいるこのままでは息子が報われないでもよくやったと褒めてやることもできません、感情の板挟みのちょうど中間から身動きできず生きるべきか死ぬべきかそれが問題だと思い悩むほど父親は罪悪感から前に進めずにいました、確かに息子は身を挺して家族を守りましたその精神は尊い、、けれど身を滅ぼしては悲しい、、だから悲劇の舞台に変えて褒めて欲しかった息子をそこで讃えてやろう、そして私が息子と交わした無茶な願いが息子の身を滅ぼす悲しい間違いを招いてしまったことをみんなに知ってもらおう、それで幸せにはなれない事を二度と同じ罪や間違いをしないように喜劇ではなく悲劇ハムレットにして伝えていけば私の罪滅ぼしにもなるし息子も報われるだろう、これでやっと息子も私も前に進んでいけるという話の映画です
悲劇の題名はハムレットですが映画の題名はハムネットです、女性に人気のある映画です映画館の観客の大半は女性でした
私は子供の頃に親戚の叔父さんに無茶な願いをしてしまった事があります、叔父さんが来て何か欲しいものがあったら言ってごらんと聞くので子供の私はヘラクレスオオカブトムシが欲しいといいました、叔父さんは???聞いたことも無かったらしくメモ帳を出して一字一句私に聞きながら書いていました、よっしゃ叔父さんにまかせとけじゃあなボウズと帰っていきました、子供の頃私は田舎に住んでいて近所の山でカブトムシやクワガタを取っていたので日本のは欲しくありませんでした、念願の外国のヘラクレスオオカブトムシが手に入るとウキウキしながら待ちました、しかしヘラクレスオオカブトムシは日本にいませんどこを探しても見つかるわけがないのです、、叔父さんはそうとは知らずインターネットも携帯もない時代に都内のお店を相当探したようですが何処にもありません、後日母親に叔父さんから電話があり探したけど無かったことを伝えられました、私は落胆よりも子供心に叔父さんにすまないことをしたなあとその時になってやっと気づきました、私の無茶な願いを叶える為に叔父さんを走り回らせて無茶なことをさせてしまったと後悔しました、叔父さんの買ってきてやれなくてすまないなあと気落ちする顔が思い浮かびます、あれからもうだいぶ時が経ちました今では日本でもヘラクレスオオカブトムシが旅行先に展示されていることがたまにあります、当時のことを思い出して懐かしくなりますが同時に恥ずかしくもなります、せっかくの叔父さんの恩を無駄にしてしまったような罪悪感は今でもヘラクレスオオカブトムシを見るたびに寂しいような気持ちとなって浮かんできます、ですがお互いにすまない気持ちでいる叔父さんと子供の頃の私が今ではなんだか可笑しく親類は大切にせんといけんなあと思います
もう一つ映画の紹介をしたいと思います
(映画ネタバレ注意)埋もれる叫び〜南米アマゾンで広がる子供達の異変
経済活性を掲げたその裏側で水俣病になる人達が放置されていることを取材したドキュメンタリーの映画です、日本の取材班もかなり危ない橋を渡っていますもう二度と海外の現地に行くことは危なすぎて出来ないのではないでしょうか、相手は強大です個人や村でどうこうできるものではありません批判などすれば消されてしまう恐れがあります日本にいても安心とは言えません、国家レベルで動かせるぐらいの力が必要です映画にすることで世界中の多くの人の目にとまり世論に注目が集まれば国をも動かせる力になるかもしれません
明日出雲大社の神様に5回目の私の今までのブログを見てくれた人達に感謝の参拝をしてお祈りをしてきます
今日のありがとう
恐山の宿坊に宿泊予約できましたこの夏に行きます、ありがとう吉祥閣の富士山バリアを心の中でしました
ありがとうは正の力、負の力に負けてはいけません