胃破裂で運ばれてきた生後3日の赤ちゃんに輸血拒否
エホバの証人の子どもたちは、親の宗教ゆえにその信条を押し付けられ、色々な活動が制限されています
その中には命に関わる輸血拒否の教えもあり、輸血を伴う医療を受けることができず、最悪の場合、死に至ってしまうという悲しい出来事がこれまで世界中で起こってきました
それは全く判断力の無い乳幼児も例外ではありません
この点、エホバの証人が幼児洗礼を行うことについてどんな見解をしているのかを比較すると矛盾点が浮かび上がってきます
ではまず、幼児洗礼について述べている出版物の抜粋をご覧ください
●ものみの塔 1989 1/15号 P12
記事「あなたがバプテスマを受けることに何の妨げがありますか」
17節
「乳幼児は理解したり,決定したり,弟子になったりすることができないので,幼児にバプテスマを施すのは間違っています。
...バプテスマは,学び,信じ,信仰を働かせることができる年齢に達した人々のためのものです。」
●ものみの塔 1989 7/15号 P31
記事「ニュースの内面をみる」
「カトリック教会は何世紀にもわたって幼児洗礼を習わしにしてきたので,成人の洗礼に対する同教会の立場は矛盾をきたしています。
...神にもキリストの流された血にも信仰を働かすことのできない赤ちゃんに洗礼を施すのはなぜでしょうか。」
これらの記事をみると、幼児がバプテスマを受けることができない理由として、幼児はまだ理解力がないゆえに、学び、信じ、キリストに信仰を働かせているわけでも無いので、何もわからない子どもに勝手に受けさせるべきではないとして、それを行なってきたカトリック教会を強く批判しています
そう言うのなら、組織に問いたいです
「これらの見解は子どもへの輸血拒否にもあてはまるのではないのか」と
輸血拒否の教えの強要は間違いだと思いますが、判断力がある成人した大人が自分で決めて勝手に死ぬなら100歩譲ってまだ仕方がないですし、止めることもできません
でも、全く判断力のない幼児にバプテスマを施すのはダメで、輸血拒否をして死なせるのはいいんでしょうか?
意味が全くわかりません
最近では日本でも子どもの命を守るため、親の信条による子どもへの輸血拒否が医療ネグレクトとして扱われ、行政がすぐさま親権の失効をし救われた命もあります
この救われた子どもが将来、エホバの証人として歩まないと決めた時、いまある自分の命が救われたことに本当に感謝するはずです
そしてたとえエホバの証人として生きることを選択したとしても、判断力のない幼児の頃に輸血を受けたことには本来なんの罪もないはずです
信仰を働かせることができる年齢ではなく、判断力のない幼児に洗礼をするのが意味のない事で間違いだと自分たちが言うのなら、なおさらそうなるのではないですか?
さらに神が、エホバの証人が言うように愛にあふれる方であるなら、判断力のない子どもの時にした行為で裁くわけがありません
幼児洗礼を行うカトリックを批判しておきながら、一方では輸血拒否に関して自分たちも同じ論点で同様の事、いや、命に関わるもっと重大な事をしている事実
非常に大きな矛盾だと思います