本日のしんぶん赤旗のいくつかの記事題名です。

 「『平和国家』投げ捨てる 次期戦闘機共同開発条約 宮本徹議員が批判 衆院本会議」

 「合意なき『共同親権』 仁比氏『子の利益』置き去り批判 参院法務委」

 「トヨタ 初の1000万台超 23年度世界販売 北米でHV好調」

 「コスト上昇 止まらぬ値上げ コーヒー豆 UCC ガソリン 建築用ガラス AGC」

 「静岡 知事候補に森大介氏 党県委が擁立、リニア・原発ノー」

 「TikTok、提訴へ 米禁止法成立受け」

 「ウクライナに1550億円軍事支援 米政府 長距離ミサイルを供与 軍事援助は極めて重要 ゼレンスキー氏」

 「米大学でガザ攻撃反対デモ続く テキサス大では逮捕者も」

 「イスラエルの入植地合法化意向 米高官『危険で向こう見ず』」

 「9ボーダー 川口春奈」

 「新生活📣応援 契約よく考えて 18歳以上の若者注意! 国民生活センターよびかけ」

 「大谷 二塁打3本 大リーグ 打率・安打数リーグトップ 勝負強さ取り戻す」

 「富士山撮影殺到『目隠し』設置へ 富士河口湖町」

 「JR福知山線脱線事故19年 遺族・負傷者ら323人参列 安心安全の公共交通に 党兵庫県議ら」

 「IHI2工場立ち入り検査 国交省」 

 「藤井が連勝 将棋名人戦第2局」

 「自民・宮沢氏女性と同棲 『文春』報道」

 ◎今日は名古屋空港での中華航空機墜落事故から30年で改めて犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。また負傷者された方々にもお見舞いを申し上げます。さらに事故当時名古屋空港にある航空自衛隊小牧基地や名古屋市からも乗員乗客の救助に駆け付けた自衛隊員、消防隊員などの方々には敬意を表します。

 それにしても1985年の日航ジャンボ機墜落事故と1982年の羽田沖日航機墜落事故でも生存者がいましたが、これは山の木々や海水がクッションになったからとも思われますが、この中華航空機墜落事故では機体は地面に激突でしかもすぐに火災が発生でよく7人が助かったとも思いました。やはりすぐに隣接の航空自衛隊小牧基地から隊員が駆け付け機体から乗客を運び出したのが大きかったのでは(動画サイトに自衛隊員が撮影した映像があるはずだが。自衛隊にはこういう事故時に備えて記録班がいるようである。後に事故原因の究明に役立てるためでもある)。それからやはり隣接の名古屋市(名古屋空港は小牧市、豊山町など複数の自治体に跨っている。厳密には名古屋市にも一部跨ってはいるが中心部からは離れ過ぎている)から多くの緊急車両が駆け付けたのがあったのかも。また人口密集地なので病院が近かったのもあったのでは。

 当時の私は大阪府東大阪市のマンションにいてインターネットもスマートフォンもなかった時代で(音声通話だけの携帯電話はあったが)TVのニュース番組が名古屋市のTV局からの中継(恐らく「CBC」で知られる中部日本放送)がずっとあってスタジオからの解説もで見慣れていた局でまるで名古屋にいる感じになりました。あの時の不思議な感覚は今でも覚えています。

 個人的にも想い出があってこのブログでも書いていますが私は1988年にカナダに短期滞在とアメリカのカリフォルニアを南下で旅客機で飛び立ったのも帰って来たのもこの名古屋空港です。当時は名古屋空港は中部空港(セントレア)開港前で国際線ターミナルもありたいへん賑わっていました。また帰国した後は名古屋空港に度々航空機を観に行っています。単に空港ビルディングからだけではなくその中華航空機が墜落した滑走路南端の近くにカメラを持って航空機を撮影しにも行っています。そこでは手が届くぐらいのすぐ上空を航空機が通過し着陸していました(名古屋空港では滑走路南端からの離陸はなかったのでは)。また航空自衛隊の訓練でのC-130輸送機の編隊飛行の離着陸はたいへん美しかったです。ですのでこの中華航空機墜落事故は個人的な体験としても衝撃的でした。

 この中華航空機墜落事故で人口密集地にある名古屋空港の危険性も浮き彫りになったのと手狭で公共交通機関のアクセス手段が定時制に劣るバスしかないので伊勢湾での海上空港になる中部空港の建設が進められることにもなりました。今の中部空港は施設も大きく立派でアクセスも名鉄(名古屋鉄道)が開業し名駅(名古屋駅)から直通特急も乗り入れたいへん便利になりました。また名古屋空港では国内線と国際線ターミナルが分かれていましたが中部空港では同じ空港ターミナル内になり乗り継ぎが容易になりました。しかしこれを禍を転じて福と為すと言うのは酷では。逆に名古屋空港は中部空港開港近くに建設された新しい国際線ターミナルは中部空港開港で国際線は撤退で商業施設に転用で国内線ターミナルは静かになっています。それでも近年はフジドリームエアラインズの日本各地への就航で再活性化もしているようです。国際線があった時期は大型のボーイング747型旅客機が至近距離で観れました。名古屋空港は人口密集地で滑走路近くまで寄れることができたからです。大きな機体のボーイング747型機が離陸のため滑走路南端までそろりそろりと移動する姿は圧巻でした。周囲に人家がなく海上にある中部空港ではそもそも滑走路近くに行くことはできないです(特別のツアーではできるようだが)。

 中華航空機墜落事故からも私のカナダへの短期滞在へ飛び立ってからも長い年月が経ってまさに隔世の感ですが、空の安全はこれからも守って行きたいものです(実は1985年の日航ジャンボ機墜落事故以来日本の航空会社は自らの責任による乗客の死亡事故は起こしていない。日本の空港での乗客の死亡事故も現状は1996年の福岡空港でのガルーダインドネシア航空機離陸失敗事故以来ないままである)。

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 ではまた。次は月曜日にお会いしましょう。大型連休が始まりますがごきげんよう。