深夜ですが昨日のしんぶん赤旗で見逃した記事題名です。

 「日航機 米で滑走路誤進入 昨年11月 管制官指示を取り違え」

 「反戦候補の立候補認めず ロシア大統領選で選管」

 「ウクライナ大統領 総司令官を解任」

 「ソフトバンクG赤字4587億 4~12月期」

 「善光寺表参道にタワマン 長野駅前再開発 税金投入やめて 住民が『会』」

 「イスラエル軍需企業と断絶を 若者ら協力企業に抗議 関係の終了企業側発表」

 「最高裁 自民・杉田氏の上告棄却 伊藤詩織さん勝訴確定 『いいね』訴訟」

 ◎前回に引き続きでコロナウイルス感染拡大での反ワクチンノーマスク派の陰謀論者のある男性(私と面識がある)のSNSによると古代国家の権力者だった蘇我入鹿の首塚を訪れています。それによると「蘇我入鹿は日本書紀や学校教育で悪者として刷り込まれますが」だそうで、いや別に蘇我入鹿が特段前から悪者として刷り込まれている事実もないのでは。確かに以前は聖徳太子(厩戸王)の十七条憲法や冠位十二階や法隆寺建立や仏教の普及などの功績が強調され太子の死後は馬子、蝦夷、入鹿の蘇我一族が大きく権力を振るった記述もあったでしょうが、現在の日本史研究では太子の十七条憲法などの事績は修正されています(もっともだからと言って十七条憲法や冠位十二階などの政策が太子の発案ではないということではなく恐らくは太子によるものであろうが蘇我氏などの影響もあっただろうということでもある。そもそも蘇我氏は物部氏との対立の中では仏教推進の崇仏派である)。それから聖徳太子には蘇我氏の血も流れています(古代天皇家の近親結婚でややこしいが蘇我稲目の血も用明天皇(父)の血も流れている。父の用明天皇(孫)にも母の穴穂部皇女(孫)にも蘇我稲目の血は流れている。よって聖徳太子は蘇我氏の申し子と言えなくもない。太子の妻の一人の刀自古郎女は蘇我馬子の娘である)。古代国家の皇親政治の中で聖徳太子や推古天皇などと蘇我氏を完全に分けることはできないですが(推古天皇も蘇我稲目の孫で用明天皇と兄弟姉妹)。現代の日本史研究では古代国家の初めは聖徳太子だけではなく推古天皇と蘇我馬子との共同執政によって政治が行われていたと言われています。それが崩れたのは聖徳太子も推古天皇も亡くなり必然的に蘇我蝦夷と蘇我入鹿が権力を振るう状況ができたからです。それからよく知られているように蘇我入鹿は聖徳太子の子の山背大兄王の一族を殺しています。それはこの陰謀論者の男性が訪れた入鹿の首塚がある理由の乙巳の変の2年前です(643年)。入鹿が悪者として刷り込まれますが、と言いながら悪者の如き一族皆殺しをした結果となった首塚の横で自説を誇るのは無知では(乙巳の変ではやはり山背大兄王の一族を殺した蘇我入鹿の専横に危機感を覚えた中臣鎌足と中大兄皇子が入鹿を殺害したと言える)。

 「蘇我氏が人民を虐げたという記述は日本書紀にもなくただ単に天皇家や藤原家の権威に邪魔だっただけだったのだと思います」そりゃそうでしょう。でも十七条憲法にもありますが当時の古代国家が人民を労役に徴発したことは明らかでは。税の取り立ても普通にあったでしょう。それに蘇我氏が関与していないとはあり得ないですが。何か蘇我氏がイエス・キリストのような人物で善政を行ったと勘違いしているのでは。しかし三権分立や自由な選挙がない古代国家で善政があったでしょうか(まあそれは聖徳太子も善政を行ったとは言えないが)。

 「歴史を一方から鵜呑みにしたり他人に教えるのではなく常に多角的多面的に考えたいものですね」だそうで、それはまさにこの陰謀論者の男性に言えることです。蘇我入鹿などの蘇我一族が聖徳太子との比較で以前ほどの低評価ではないですが聖徳太子と蘇我馬子亡き後には蝦夷と入鹿が権力集中を目指し山背大兄王の一族を殺して警戒され結果として乙巳の変で入鹿は殺され蝦夷は自害し蘇我氏の本流は滅亡しました。多角的多面的に考えるのならば聖徳太子も蘇我氏も聖人ではなく今でもよくいる俗人俗物の権力者だったということを認めるべきでは。

 最後にこの陰謀論者の男性は「英語のHistoryはhis storyから来ています」だそうで、いや違いますが。これは俗説中の俗説で明確に否定されています。なぜSNS上に投稿する前にネット検索しないのか不思議ですが。自ら恥を晒しています。こういう陰謀論者に褒められて首塚の蘇我入鹿も返って恐縮しているのでは。コロナウイルス感染拡大での反ワクチンノーマスク派の陰謀論者がまともなネット検索をやっていないことが判明したのでは。こりゃコロナワクチン接種とマスク着用での感染抑制の効果を否定するはずですわ。

 長い話にお付き合いありがとうございました。ではまたおやすみなさい。