子供の頃から日記や手紙など文章を書くのが好きだった。
小学生の頃に課された夏休みの宿題の絵日記帳が力作ゆえに未だ保管されているほどで、引越のたびに発掘され、読み直してはまたしまうを繰り返している。中高生時代は日記の代わりに、ものすごい大量の文のやりとりを友と交わしており、これもなかなか捨てられず、しばらくは収納に困るほどだったが、さすがに色恋中心のお悩み等を語り合った手紙を新居に持ち込むのも憚られ、結婚を機に整理した。
大学生になってからは3年日記にハマり、これは1冊書き遂げ、2冊目の途中まで続けた記憶がある。
前年の同じ日に何をしていたかわかるのが楽しく、もともと筆まめだったこともあって、天気や体調なんかもマークで書き留めるなど、作品として仕上げている節もあった。
ただ、それこそ保管しておくには恥ずかしすぎる体験が多く綴られていたため、当時の彼と別れた際に盛大に破って捨てた。
社会人になってからは、中学時代の友人との間で“お菓子の空き箱文通”がブームとなり、暇と空き箱を見つけては、わざわざ半日遅れで日々の出来事を書き連ね、直接家のポストに投函するやりとりを続けた。
その頃の通勤時の楽しみは、専ら友人からの文をおもむろに空き箱から取り出し読むことであり、内容もまた互いにくだらなさを極めていたため、肩を震わせながら笑いをこらえたものだ。
友人の引越を機に空き箱文通は終焉を迎え、その後は仕事がかなりハードで時間を取りにくくなってしまったこと、メールでのやりとりに慣れてしまったことから、めっきり日記や手紙から遠退いた生活を送るようになった。
ブログの存在を知ったのは、結婚後だっただろうか。
公開日記というのは面映ゆく感じたが、読み手を意識して書くのは頭の体操になるし、ペンもノートも不要で気軽にできそうなのもよい。
幾分育児にも慣れた次男出生後、日々の出来事を書き付けるようになった。
残念ながら、そのときのアメブロIDはパスワードを失念し、さらに登録のメールアドレスが回線解約に伴い消滅したためログインできなくなってしまった。
閲覧は可能なのでたまに読み返し、懐かしさに浸っている。
その後、夫の転勤で海外へ帯同する際、友人などにこちらの状況をお知らせするツールとして、また同じコミュニティの方々との情報交換を目的に新しいブログを開設。
検索ワードで絞りこむと書いている方たちの中には、子供が同じ幼稚園や学校、同じ居住エリアであろう方もいらして、そういう方にはメッセージを送り、交遊を広げることに成功した。本当にありがたい存在だった。
帰国後も細々と続けていたが、身バレ前提の公開ブログだったため綴れないことも増え、もう半年近く更新せぬままだ。
併行して家族内交換日記をつけていた時期もあった。長男はわりと積極的に書いてくれ、彼の思いや学校での出来事などを知ることができ、非常に有意義なやりとりだったと思う。
さすがにもう更新されることはなさそうだが、ノート10冊を超えるやりとりのすべてが宝物だ。老後、何度も読み返し、現物は棺に納めてもらうとしよう。
そして、いま書いているのが、新たにIDを取り直して始めた3つめのブログ。
身バレしていない立場で思うままに本音を書きたかったというのと、某トップブロガーによる数多の非常識行為をチクリ刺したい思いがスタートのきっかけだ。
すでに似たような思いで先陣を切られた方が複数いらっしゃり、その流れに乗らせていただいた形でもある。
しかしながら諸先輩方の中には、某氏による陰謀なのか、○○されたり、△△されたり、□□される方も。かくいう私も昨日この記事を○○されたため、自主規制版を再掲するに至っている。
某氏の愚行蛮行はもはや公認なのかと残念でならない。
某氏のお子さんたちが不憫で、公的機関のさらなる介入を望んで小さいながらも声をあげているつもりではいたが、育児放棄もここまで開き直られるともう言うことも尽きてしまった感がある。
所詮は他人事。自分の生活を犠牲にしてまでどうにかしたいわけじゃない。大体聞く耳を持たぬ人にいつまでも関わるほど暇ではない。
だって怖いよね、話が通じないんだもの。
世の中にはわかりあえない人っているんだなって実感した。
違う世界線で生きてらっしゃるから世間一般で言う常識も通じない。
どう考えてもおかしいことでも正さないし謝らない。
(中略)
まぁ、もういいや。
このブログのおかげで思い同じくする方と交流を持てたことに感謝しつつ、またマイペースに書き記していきたいと思う。
だって日常を綴るのは好きなわけだし。
49109もあるしね〰️