日本最古の紀行文といわれている『土佐日記』。


「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり」と、女性のふりをした紀貫之が、仮名文にて旅の様子を書き記したことで知られる。


平安時代、日記は男性が漢文で綴ることが常識であり、日記と言えど朝廷のことなど公的な出来事を記すのが一般的だったの対し、女性になりすまし、かな文字を用いて旅の記録を残したというわけだ。


一説によると、仕事感のない日常を綴るために、和歌の名手である貫之が得意のひらがなを用い、旅日記風の文学作品として仕上げたとか。

ありのままの感情、喜怒哀楽を文章にしたためるには、公的記録のための漢文ではなく、仮名文が都合よかったのかもしれない。
歌人ならではの情景描写や状況に応じた和歌の巧さが、作品をよりおもしろくしている。

日記の中心は船旅中の出来事。
貫之自身が地方長官である土佐守(とさのかみ)として土佐へ着任し、5年の任期を終えたのち、土佐から平安京に帰るまでの55日間についてが描かれている。

筆者は女性という設定のため、紀貫之としてではなく、土佐で任期を終えた国司と共に都へ戻る女性として書いている。(のわりに男性とすぐばれる下ネタ満載)
ユーモラスな語り口も多いが、根底にある悲哀に満ちた親心が何とも切ない。

55日もの旅程を、1日も欠かさず記していく。

読み手を意識したストーリー性ある構成で、そりゃ1000年の時を経てもなお、名著として語り継がれるわけだ。


当然のことながら、間違っても旅の途中で烏帽子やら十二単やら売りつけたりしない。
御簾や几帳も屏風も売らない。
自分は高貴な紫色の絹の装束をまとう一方で、読者には植物繊維の藍染め茶染めの衣服を勧めたりしない。

だって、そんなことしたら

ただの奇人変人だし、

性格悪くて嫌われちゃうし、

彼の異名が

「すっごい物を売る歌人」

になっちゃうからね!



☆☆☆

旅日記は旅のあれこれを綴ってなんぼ。

唐突にはさみこまれるお買い得という名の在庫処理情報なんざ、誰も求めちゃいないんだよ!