私はいわゆるきょうだい児だ。
兄が知的障害を伴う自閉症で、
療育手帳も所持している。
幼い頃の兄の多動ぶりは、時を経てから話に聞くぶんには興味深い内容であったが、
当時リアルタイムで対応していた母は、さぞかし苦労したであろう。
ベランダに干していた布団にダイブしてそのまま落ちそうになったとか、
窓から乗りだし落ちそうなところを母がガラスを割りながら止めたとか、
自転車で坂道をノンブレーキで下りトラックの車体下に滑り込んだとか、
よく命があったねと思う話をいくつも聞いた。
私自身の記憶として残っていることもたくさんある。
会話が一方的で噛み合わない、
目線が合わず言葉をおうむ返しにする、
一人言が大きく指で空に数字を書き続ける、
行事の変更などにすぐ適応できない、
想定外の事が起きるとぴょんぴょん跳ねる、
耐え難い事態に直面すると奇声を上げる、
鉛筆の上部を噛んでボロボロにする、
指先の皮を血が出るまで剥いてしまう、
雨戸の開閉など繰り返し作業を好む、
鉄道のダイヤや時刻表を記憶している、
過去未来の日付曜日が瞬時にわかる等々……
自分が子育てする立場になり、物の本を読んだとき、間近で見てきた兄の言動すべてが自閉症の見本市みたいだと感じた。
昭和50年代、障害児への理解の浅さから親もつらい思いをしたであろうことは想像に難くないが、逆にここまでわかりやすく特性が出ていることで、そういうルートで進ませる覚悟が決まったのではないか。
今は特性モリモリでも普通級にぶっこむ親もいるが、昔はそんな例外は認められなかったのだろう。
結果的に支援級でいい先生と出会え、養護学校の導きで就職を果たせたのだから、区別されてよかったのだと思う。
そして今も勤続している兄は、どこぞのニートよりよほど社会の役に立っている。
境界知能、ボーダー、グレーゾーン。
いろいろな表現があるが、支援を受けにくいこういう子達のほうが生きづらさを感じているのではないかと、私は思う。
イライラを言語化できず癇癪を起こしたり、
全体指示が通らず集団行動できなかったり、
言葉の裏を読み取れずトラブルを起こしたり、
床に寝転んだり嫌がる相手にしつこくしたり。
いち早く親が気づいて適切に対応すれば、いいところを伸ばして将来の選択肢を増やせるし、何より子供の自己肯定感も高められる。
「おかしくなさすぎる」と問題に向き合わず、親の都合のいいように解釈してその場をやり過ごしたとて、実際には問題が解決するわけでないのだ。
子供たちの可能性を狭めた親の責任は、重い。