懐かしの急行列車⑳~「礼文(れぶん)」
このシリーズもこれで最終回。
「礼文」は、旭川と稚内を結んでいたディーゼル急行。二重窓、木の床が特徴の北海道専用急行型キハ56の2両編成で、僕が乗った時は1両がカーペット車に改造されていた。
カーペット車に乗ってみたが、寝っ転がるにはちょうどいいものの窓の位置はそのままで、外を見るには少し不便だった。
利尻富士の見える場所では、わざわざ速度を落とし、車掌が案内放送を流してくれた。
この頃、札幌と稚内を結ぶ昼行急行は設定時間帯が悪く、たった2両の全車自由席ボロ急行「礼文」は、旭川での乗換えが必要ながら、札 幌対稚内方面へは下りが始発、上りは最終列車の役割を担っていた。
国鉄末期に、廃車になった新幹線の座席を装備した「礼文」専用のキハ54に置き換えられたが、相変わらず旭川乗換えのまま。
キハ261系気動車の特急に格上げされた際にようやく札幌乗入れが実現したが、この時に「礼文」の名は消え、なんとも安直な「スーパー宗谷」になってしまった。
さらに夜行特急「利尻」も廃止され、最果てのふたつの島の名前を名乗る列車は過去のものとなった。
利尻富士の案内放送とサービス減速は、今も続けられている。
「礼文」は、旭川と稚内を結んでいたディーゼル急行。二重窓、木の床が特徴の北海道専用急行型キハ56の2両編成で、僕が乗った時は1両がカーペット車に改造されていた。
カーペット車に乗ってみたが、寝っ転がるにはちょうどいいものの窓の位置はそのままで、外を見るには少し不便だった。
利尻富士の見える場所では、わざわざ速度を落とし、車掌が案内放送を流してくれた。
この頃、札幌と稚内を結ぶ昼行急行は設定時間帯が悪く、たった2両の全車自由席ボロ急行「礼文」は、旭川での乗換えが必要ながら、札 幌対稚内方面へは下りが始発、上りは最終列車の役割を担っていた。
国鉄末期に、廃車になった新幹線の座席を装備した「礼文」専用のキハ54に置き換えられたが、相変わらず旭川乗換えのまま。
キハ261系気動車の特急に格上げされた際にようやく札幌乗入れが実現したが、この時に「礼文」の名は消え、なんとも安直な「スーパー宗谷」になってしまった。
さらに夜行特急「利尻」も廃止され、最果てのふたつの島の名前を名乗る列車は過去のものとなった。
利尻富士の案内放送とサービス減速は、今も続けられている。