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『ホテル繁美』はわたしたちにぴったりの休み場だとわたしは思った。
竜宮所に遊郭が有ったらきっとこんな建物なんだろうな。
部屋に入ると、明らかに生暖かい気配がした。
わたしはますますこの状況が気に入った。
なぜなら次長がほっとした顔をしていたから。
とにかくセックスをしようと言ったことに対する責任を果たせたからだろうか。
布団を見てやっと背中が伸ばせると思ったからか。
次長の考えていることなんて所詮、わからない。
わたしの任務は次長を笑わせること。
どんな滑稽なことでもいい、どんな些細なことでもいい、
負け犬みたいな顔をした次長が上から目線で偉そうにしてられる、
そんな笑顔が今の次長には必要だ。
次長はここでやっとネクタイを緩めて外した。
そのしぐさの手慣れ具合でサラリーマン生活の長さをはかり知る。
いいぞ、次長、いい男だ。
シャツも脱ぎ始めた。
わたしは、もわっとした空気が立ち込めるお風呂場に行き、
湯はりの支度をした。
お湯加減をみて、蛇口を景気よく開いて。
お風呂から戻ると次長はパンツ一枚だった。
首には十字架のネックレスが付いていた。
クリスチャンなのかな。
「S、脱げ」
「風呂は入らないの?」
「いいから脱げ」
わたしは色気もなくすぽんすぽんと半ズボンとTシャツを脱いだ。
「ブラもはずせ。パンツも脱げ」
「外して」
「うるせえ、自分で外せ」
「もう」
わたしはこれまた勢いよく外した。
「S、なめて」
次長はパンツを脱いだ。
わたしはおとなしく従った。
堰が切れたようにあえぐ次長。
あ、声出し系男子なんだ。
わたしは少しおかしくて、ちょっとリズムが狂ってしまったが、
すぐに持ち直した。
わたしは奉仕した。
次長の悲壮感が一時でも薄くなるならそれって楽しいじゃない。
わたしは次長を救う正義の女神様かもしれないよ。
そんなことを考えながら、わたしはできうる限りの頑張りを見せた。
「もういいよ、S。すごく気持ちよかった」
次長はわたしを抱き上げると、布団に倒した。
前戯も無かった。
次長はキスもしてくれなかった。
いきなり割り込んできた。
わたしは次長に一目ぼれした立場だから、
それともわたしが19歳だから、
だからもう太ももまで滴るほどに濡れていた。
セックスは違う人と沢山行うよりも、
一人の人と多くのセックスを行うほうが、
技術的上達が期待できる行為である。
次長は結婚破棄になった女性とどのくらいセックスをしたのかな。
わたしの関節が柔らかいことをいいことに、
次長はうんと奥まで入ってきた。
グラインドはゆっくり。
わたしは声を殺していた。
もういきそう。
早すぎる。
「これ…初めて…これ…なんていうの」
「黙って声を出せ」
「…黙ったら…声が出せない」
プフ。
次長が笑った。
「気持ちいいなら声を出せ。押し殺すな」
わたしはだれからみてもチビだ。
次長に次から次に体を持ち上げられ、そのたびに体位が変わる。
初めての体位が3つもあるセックスなんて、
次長やるじゃん。
きっとナイスミドルなところを見せつけてやりたかったに違いない。
と冷静に考えていた。
気持ちが良くて我を忘れるのは嘘だ。
どんなに気持ちが良くても我は忘れない。ただ普段とちがう我がそこにいるだけ。
セックスは語り合いなんだから、本当に気を飛ばしたら語らいにならないじゃないか。
何度も山場を迎えて、体位を変えて、また山場を迎えて、どのくらいの時間が経っていたのだろう。とても短い時間だったはずなのに、わたしは永遠にいき続けていた。
「いきそう」
「…うん」
「いく」
「いく」
果てる時、次長の鼻筋を私は見ていた。
眼鏡を外した次長は以外にも美男子だった。
幼いというか。
ちょっと賢い小学校の頃の同級生を思い出すような顔をしていた。
わたしは体をおこすのも億劫だったが、起き上がった。
わたし、次長の子供を妊娠しちゃえばいいのに。
このタイミングだと妊娠はむりそう。
もし、妊娠したらわたしは産む。
だって惚れちゃってるんだもん、冷静じゃないもの。
次長はわたしにティッシュを数枚投げてよこした。
わたしは手早く後始末をすませた。どうせシャワーを浴びるんだし。
後始末をしている次長を後目にわたしはお風呂場に行った。
「ねえ、お湯が溢れてる。入ろうよ。体洗ってあげる」
7
お互いの体を洗いっこした。
「あ、今出てきた。どろって」
「ん、ああ」
「閉じ込めておきたいのに、流れてっちゃった」
「どうせ安全日じゃねえか」
「へへ」
狭い湯船に二人で同じ向きに入った。
次長の膝の毛が硬くて、膝がごつごつしていて、
わたしは単純に男の人の体のフォルムが好きだ。
車好きな人のように、その性能とフォルムが好きだ。
次長は剛毛で、セックスの時、毛が痛かった。
とても痛かった。わたしの柔らかい皮膚は悲鳴をあげていたのだ。
セックスの最中何度もひりひりした。
「次長さ、眼鏡外すと小学生みたいだね」
「なんだよそれ。小学生は言い過ぎだ」
「言い過ぎじゃないよ、いたよ。そういう小学生」
「なんだそれ」
「次長のね鼻筋が大好き。触らせて」
「だめだ」
「美し過ぎるから、下々の者は触るなんてとんでもない?」
「いいや、そんな大したものじゃない」
「じゃあいいでしょ」
「いいよ」
わたしは眉間から鼻先までそーっと撫でた
次長は目を閉じて微笑んでいた。
「ねえ、結婚破棄になるってどうなっちゃうの?」
「もう家電も買ってたんだよ。冷蔵庫とか大物家電まで。」
「どうするの?」
「俺が使うよ」
「余るね。サイズ。わたしが住もうか?」
「お前、バカなの」
「バカじゃなきゃこんな展開ありえないでしょ。何言ってんの今更」
次長は声に出して笑った。
わたしも笑った。
それ以上詳しい話はしなかった。
次長からわたしに聞いて欲しいタイミングがいずれ来る。
でもそれは今じゃない。
ネックレスはおそらく、次長はクリスチャンじゃない。
それくらいわかってる。
これは結婚破棄になった相手からもらったやつだ。
もしかしたらお揃いかもしれない。
「未練たらしい奴だ」
「え?」
「何でもない。男の人がネックレスをしてるなんて珍しいね」
「そう?普通だぜ」
「のぼせる」
「うん。上がろう」
お風呂の中でわたしのおっぱいをもてあそんでくれたことと、
長い、長いキスをしてくれたことが、一番うれしかったことだったりして。
わたしは今日の日を一生忘れないと思った。
最初に脱いだ時の逆再生のように私たちはてきぱきと服を着た。
時刻はすでに朝の5時になろうとしていた。
痘痕も靨、あばたもえくぼ。
今のわたしは次長のどんな一挙手一投足も素敵に見えた。
スーツになった次長を見て、改めてわたしは自分の勇気を称えた。
そして間の悪い次長を愛おしく思った。
外は明け方特有のエモーショナルな色と匂いがめいっぱいわたしたちを包み込んんだ。
「きれいすぎる。ねえ」
「うん」
「きれいだよ。いい匂いするのわかる?空気が乾いてきたよ。空が最高」
「きれいだな」
「うん」
「行くぞ、乗れ」
わたしたちは黙って、お店の方面へ進んだ。
わたしは休日、次長は遅番。
次に顔を合わせるのは明後日だ。
わたしたちはお澄まし合戦をするんだ。
それだけでわたしの胸は嬉しさで高鳴った。
沈黙が気持ち良い。
でもあえて。
「さすがに疲れたでしょう」
「まあな。でも大丈夫だ。遅番だから」
「ありがとう次長」
「ん?」
「今日は本当にありがとう」
「S、俺もありがとう」
「次長を笑顔にさせたいのわたし」
「なんだそれ」
「次長の悲壮感と哀愁の顔に笑顔が混ざるとね、ますます哀愁があってかっこいいから」
「バカたれ」
「うん、バカたれだ。わたし」
「S、ありがとう」
「ううん」
わたしは泣きそうになるのをこらえた。
唇の下が梅干しみたいにならないようにこらえた。
わたしの車がぽつんと止まっていた。
車を降りて背伸びをすると私は素早く向き直った。
もうあとはいち早く次長をお家に帰さなければ。
「じゃあね。またね」
「おう。気をつけてな」
わたしは車に乗り込んんで、次長より先に手を振って走り去った。
わたしたちは秘密を抱えた。
これはレベル1。
最初のエピソードだ。
恋愛はゲームに過ぎないんだと気が付いたのは高校2年生の時だった。
恋愛は所詮ゲーム。
人生ももしかしたら所詮ゲーム。
わたし、いい線いってる。