読書回です。

 

今回は本当に遺憾です。

でもまずはタイトルくらいは先に記さねば。

 

「微差力」齋藤一人 サンマーク文庫

2011年6月初版

 

 

わたしは声を大にして言いたいです。

自己啓発本は買わない主義です。

 

なのに「微差力」て。

買っとるやないかい。

 

このくだり、きっとまたやりますよ。

不買不買といってるうちは気にしてる証拠ですからね。(笑)

 

 

 

言っておきますが、

わたしは哲学者であるマイケル・サンデル氏の派閥です。

 

能力主義とは正義ではないですからね。

これはよおく考えてみるべき問題です。

 

 

ひろゆきもホリエモンも斎藤一人も孫正義さんも

スティーブ・ジョブズ、アリババの元社長も、

とんでもない努力家だということはわかりますよ。

 

けどね、無名のとんでもない努力家の

その花咲かない数たるや、斎藤一人さんはご存知でしょうか。

失礼ながら。

 

そのおぞましいまでの努力にたいする無力と無能の惨憺たるや、

成功者はそれを目に入れたくないですか?

知りたくなかったですか?

認めたくないですか?

おぞましい努力が名声にも賃金にも繋がらないのですよ。

その理由は無能だから。

 

 

自己啓発本を出す側の人は自分の努力を評価して欲しいと望むでしょう。

自分が成功したセオリーには、

一つ、努力を努力と思わないこと

一つ、人のためになることをすること

一つ、人を愛し、自分を愛すこと

一つ、他人と比べないこと

一つ、寄付をすること

一つ、好きなことをすること

一つ…一つ…一つ…

 

どれもこれも同じ。

みんな同じことを違う言葉に言い換えて、

延々とつづけるのですよ。

 

さも徳を積んだかのような言葉を。

実際に努力の途中で多くの徳を積んだ人々ですからね、

そこは認めます。

 

 

ええ今日のわたくしはひどいですよ。

金持ちに喧嘩売ってるただのバカですよ。

 

正直言って恥ずかしいですよ。

けどね、全世界の『無能の努力家』のその努力の見方をしたい。

成功がなんだ。

成功者はただ単に恵まれたと言え。

生まれつき賢かったから、努力の価値もわかっていたと認めて欲しい。

 

ええ。

わたしはジジちゃんにも揶揄されてますが、

プロレタリア派です。

ブルジョアジーを毛嫌いする人間です。

 

我こそは立ち上がる蟹工船です。

 

 

しかしね、同情する点があるとするのならば、

齋藤一人さん、75歳ですよ。

マイケル・サンデルが能力主義に波紋を投げたあの瞬間を、

知らないんじゃないかしら、と思うわけです。

 

一人さんは本当にすごい努力家で、

沢山のお弟子さんに善くしてあげようと尽力してきたことでしょうよ。

 

それをですね、

あなたはたまたま能力に恵まれていただけです。

ちがいますか?

と75歳のおじいちゃんが突き付けられたら、

死んじゃいますよ。

 

 

生まれながらに商才のある人、

生まれながらに天才的に泳ぎが上手い人、

生まれながらに天才的にIQが高いギフテッド、

触れただけで気絶させることができる美男子

生きてるだけで商売が成り立つ美少女

太い実家に生まれた人、

体力に恵まれた人、

ありとあらゆる恵まれた人は、

 

人生のスタートラインも、ポテンシャルも体力も違うんです。

 

それを努力一本で成功したみたいなことを言ったらいけません。

 

本当に努力一本で頑張ってなお、

何一つ成し遂げられない無能が山ほどいるんです。

あるいは努力の素質があって賢さもあって、

体力の無さに負けた人が山ほどいるんです。

 

恵まれている人にはぜひお見知りおき願いたいところです。

 

 

能力主義の話になると、わたしは本当に真剣に弱者を守ります。

それがわたしの使命であるかのように。

 

 

まあでも75歳に免じて、読了しました。

 

 

この度の感想は以上です。

今回に関しては異論は認めません。