ブログのテーマ管理について考えました。
今まで、書いた内容に合わせて適当にカテゴリーを作っていました。
失敗したなと今になって思います。
読書録と摂食障害て相性わるいじゃろて思いました。
読書アカウントの人、別に摂食障害のこと知りたいわけじゃないですし。
摂食障害で悩んでいる人、他人の読書録とかどうでもいいですし。
なんなん読書録と摂食障害て。
なんなん日常と摂食障害て。
こちとら摂食障害が日常なんじゃと自分に突っ込みをいれつつ、
それでも読んでくださる方々にすごく救われていて。
凡人のクソ日記とはいえさらけ出すからには、
興味のないトピックを読まずに済むようにきちんと整理せねばと思い至ったのでした。
なんとか「日常と摂食障害」というヘンテコなテーマの削除に成功したものの、
「読書と摂食障害」がそのままです。
次からは日記を書く時に、読書録と摂食障害を分けて書くようにします。
今日はいくら食べてもお腹がいっぱいになりませんでした。
なぜならお湯を飲まなかったからです。
今日は吐かないと決めて過食をしたので、
水分を摂りませんでした。
よく噛んでお湯を大量に飲むことは吐くことの準備を意識して食べる行為です。
大量のお湯が無いと、食べ物が無限に入るんじゃないかとゾッとしましたね。
食べても食べても全然食べられるのに、充足感が得られない。
食べて吐かない方が体も心も楽なはずと考えるのは安易過ぎました。
まるで呼吸の「呼」と「吸」のどちらかを欠いたような気持ちです。
食べるだけではカタルシスが得られにくい感じがします。
とはいえ吐いたら吐いたで、
浄化槽なので流せない水ゴミを袋にため込まなければならず、憂鬱は晴れません。
袋から内容物が出てしまったらと考えると怖くて、3重袋にしています。
それを普通ゴミの袋にこそこそ入れて捨てています。
指定ゴミ業者様、本当にごめんなさい。
流せば、浄化槽業者様に謝らねばならなくなります。
神様お願い、オラの村に公共下水をば。
食べることは体が生きることで、
食べることは心が死ぬこと。
いつまでこんな引っ張りっこをやるんかと、
摂食障害の方、皆通る道。
わたし30年も悟れない。
途方もない気持ちになります。
今日も眠れません。
今日は日中キティーちゃんでちょっとだけ浮かれちゃったので、
なおさら今打ち沈んでいます。