昨日の朝、無事帰宅しました。
野菜たちも無事でした。
報告させていただきますウインク


11月18日の旅行記です。

長崎では2カ所、行きたいところがありました。


まずは…



長崎近郊の高台、鳴滝にある

シーボルト記念館 です。


シーボルトは江戸時代末期に来日し

日本で初めて西洋医学を実践

日本の医師たちに西洋医学を教えました。




フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト

ドイツ人ですが日本の研究がしたくて
出島のオランダ商館医に応募しました。





シーボルト宅跡の隣にシーボルト記念館があります。ここは鳴滝塾があったところです。




入館料は100円。

訪れる人は私たち以外いませんでした。


中は撮影できません。



シーボルトは1823年

27歳の若さで来日しました。

来年はシーボルト来日200年になります。


大学で医学教育を受けていたので

日本で初めて西洋医学を実践しました。

そして6年に渡って長崎で臨床医として働き

その傍ら鳴滝塾を開き高野長英、伊東玄朴ら

日本の蘭方医を育てました。

また日本の動植物や風土を欧州に紹介しようと

日本を調査、研究しました。

一度江戸へも招かれました。

江戸では新生児への兎唇の手術もしてみせたそうです。


記念館には実際に使ったメスや鉗子、聴診器なども展示されており現在のものと全く遜色ないものでした。


シーボルトの書いた処方箋も展示してありました。ひとりひとり熟考され見事に理に適った処方でした。(それまでの医学が謎の丸薬や鍼、灸に頼っていたのと正反対なのです)


またプライベートでは滝という妻をめとりイネという女子を授かりました。




若きシーボルト

精力的でカッコいいです。



シーボルトは残念ながら

日本の地図を持ち出そうとしたのが発覚

国外永久追放になり、最愛の滝、イネと引き裂かれてしまうのです。




ところが約30年後…

日本が鎖国を解きシーボルトは再来日を許され

滝、イネと再会を果たしたのです。

どれだけ感動の対面だったでしょう!




晩年のシーボルト、風格があります。

大好きな日本で3年暮らしたシーボルトは

母国ドイツ、ミュンヘンで70年の生涯を終えました。





いも太郎シーボルトは風格がありません(笑)





次にポンペ先生に会いに行きました。

これも長崎の高台の小学校の中にある




小島養生所跡資料館


実はここ

日本最初の病院の跡なのです。


長崎市│長崎(小島)養生所跡資料館長崎(小島)養生所跡資料館リンクwww.city.nagasaki.lg.jp



入館料は無料。

ここも訪問者は私たちだけでした。


職員の方が「なんでここがわかったの?」って聞かれたので

司馬遼太郎のファンだ、という答えで

すぐ理解していただきました(笑)


司馬遼太郎の「胡蝶の夢」
幕末から明治維新までの西洋医学の黎明期が小説になっています。
小説の主人公は幕府の医師であった松本良順
ポンペが来日、医学教育をはじめた頃のことが
詳しくまた生き生きと描かれています。
いも太郎は3回も読みました(笑)



小島養生所は1861年建設された日本最初の病院で長崎大学附属病院の前身となりました。



ここを作ったのが



幕末の西洋医学のもうひとりの父

ポンペ先生です。


ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールト

業績は下の表示にまとめられています。



明治維新より11年も前

1857年に28歳で来日し

幕末の長崎で5年にわたり

解剖を含む本格的医学教育と

実地医療を行いました。



ポンペ先生と養生所頭取の松本良順

ポンペ学校の生徒たち

「胡蝶の夢」が蘇りました。

医療関係者はぜひ読んでいただきたいです。



ポンペが来日していた時

長崎でコレラが大流行しました。

松本良順も罹患しました。


ポンペ先生は色々な実証を元に処方を完成



コッホがコレラ菌を発見するのが

これより20年以上後という時代

対症療法ではあるももの処方を確定し

多くの人を救った功績は計り知れません。


小島養生所は1861年ポンペと松本良順の要望が幕府を動かし建てられた病院です。









初めてベッド採用し

(船大工に作らせたそうです)

天井を高くし窓を大きくとり

風通しを意識した作りになっています。

換気を良くするというのは現在のコロナ対策と同じではありませんか!




ポンペ先生の講義は精力的で

生徒たちには厳しかったようです。



ポンペ先生は生徒たちにこう説いています。


「医師は自分自身のものではなく病める人のものである。もしそれを好まぬなら他の職業を選ぶがよい」


この場所を基礎に日本の現代医療と医学教育が始まりました。ここが私たちのルーツといっても過言ではありません。



長崎で訪問したかったところは…


シーボルト記念館と小島養生所跡資料館

でした。


いろいろな方のご尽力できちんと軌跡を残してあることに感謝感激です。





小島養生所のあったところから見た長崎です。

約160年前、どんな風が吹いていたのでしょうか。




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