ビートルズ、アメリカ・デビューまでの道程(1963〜64年)/(その21) | John's BOOROCKSブログ-I Love The Beatles, Fender Guitars & Movies!

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間が空きましたが、ビートルズがアメリカに1964年に初上陸した話の続きです。ビートルズのアメリカ侵攻作戦の総仕上げ、「I Want To Hold Your Hand」の全米1位の勢いそのまま、アメリカを陥落させた快進撃の様子をお届けしましょう。

1964年2月11日、ワシントンDCでの初コンサートを大成功させたビートルズは、次のスケジュールに向います。カーネギー・ホール公演でした。
2月12日、ビートルズは再び列車でニューヨークに戻り、プラザ・ホテルにチェックインしています。この日は、アメリカ侵攻への切っ掛けとなった、シド・バーンスタイン提案のカーネギー・ホール公演の日でした。マネージャーのブライアン・エプスタインにとっては、まさにこの訪米のクライマックスであったことでしょう。もともとクラシック・ファンの彼にとって、ここは聖地とも言える場所だったのです。

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(カーネギーホール)

カーネギー・ホールは1891年に、当時鉄鋼王と呼ばれていたアンドリュー・カーネギーによって建設され、こけら落としを行ったのは、あのチャイコフスキーでした。しかし1925年に売却され、カーネギー家の手を離れたのですが、その名は残り、以後1900年のルーズベルト大統領の演説、1943年のレナード・バーンスタインの指揮者デビュー公演等の歴史的イベントも開催され、クラシックの聖地と見なされてきたのでした。メイン・ホール、リサイタル・ホール、室内楽ホールの3つのホールから成り、ビートルズが出演するメイン・ホールには2804席が設えられていました。

1月27日に販売開始されたビートルズのカーネギー・ホール公演のチケットは翌1月28日には完売となっていましたが、招待席を用意していなかったため、更に200席近い補助席が設置されることになりました。シャーリー・バッシー、カウント・ベイシー・オーケストラをバックに従えたトニー・ベネットを前座にして、ビートルズは午後7時45分からと午後11時15分からの2ステージで、それぞれ35分間のステージを行っています。この聖地で愛するビートルズが演奏するステージを見つめていたエプスタインは、感動のあまりに涙を流したと伝えられます。

公演後、エプスタインはシド・バーンスタインに案内されてマディソン・スクエア・ガーデンに向いました。バーンスタインはここでの追加公演を提案したのですが、エプスタインは次回にしようと断わったと伝えられます。そして公演を終えたビートルズはホテルで一息入れた後、ヘッドライナー・クラブ等で夜明けまでニューヨークの夜を楽しんでいます。

翌13日、ビートルズは午前中遅くまで睡眠を取り、その午後にマイアミへ向かうため、ナショナル・エアライン11便に搭乗しました。マイアミ国際空港に到着した彼等を出迎えたのは、何と7000人にも及ぶファンの大歓声でした。この第観衆を前にしては警官隊も空港の警備隊も全く無力となり、空港は大混乱に陥りました。ビートルズは迎えのリムジンに大急ぎで駆け込むと、前後をオートバイで厳重に防御されドーヴィル・ホテルに向かっています。ホテルでは、ベッド・ルームが3つあるスイート・ルームが用意され、ジョン夫妻、ポールとリンゴ、そしてジョージとマレー・ザ・Kが同室となったのでした。彼らにとって初のアメリカでのバカンスでした。

この続きはまた明日。