ビートルズ初の米国入りの様子を収めたDVD『The First U.S. Visit』が残されています。このDVDを見ると、彼等の初主演映画『A Hard Day's Night』に酷似、と言よりも『A Hard Day's Night』が如何にビートルズの日常を忠実に再現していたかが判ります。それもそのはず、この映画の脚本家も同行し、ビートルズの日常をしっかりとリサーチしていたのです。特に列車の中の大騒ぎは、そのまま流用されているかの様に思われます。
2月7日午後6時、ビートルズはプラザ・ホテルの12階にある、10部屋から成るプレジデンシャル・スイートルームに入りました。ここにも警備員2名が常駐して、エレベーターで12階まで侵入してくるビートルマニアからビートルズをガードしたのですが、ホテル側は予想も出来なかったこの事態に慌てふためいていました。ノーマン・ウェイスは予め警備の必要性をホテル側に説明していたのですが、彼等は全く意に介していなかったのでした。結局、ホテル側も事態を危惧して警備員の数を倍に増やすことになりました。
ホテルの部屋に入ると、体調を崩していたジョージはすぐにベッドに入っています。しかしビートルズを訪れる者は引きを切らなかったのです。大抵の者は警備の警官に追い返されましたが、同様に危うく追い返されそうになったのがジョージの姉のルイーズでした。彼女はジョージの看病のために訪ねて来たのでした。医師の診断の結果、ジョージは扁桃腺と判明、既に高熱が出始めていたのです。また彼等を訪ねて来た者の中に、マレー・ザ・Kがいました。多くのDJがビートルズに会えず終いだったのですが、彼の作戦は見事でした。彼はアメリカの著名なガールズ・グループ、ロネッツを連れて行ったのです。

(ロネッツの大ヒットシングル『Be My Baby』のジャケット)
実はビートルズはイギリスでロネッツと既に知り合っていて、特にジョージはメンバーとデートまでしていたのです。見事にビートルズまで辿り着いたマレー・ザ・Kは、電話を使って自分のラジオ番組を仕切り、更にビートルズのメンバーを出演させることにも成功したのでした。彼の早口のスラング混じりのアメリカ英語と、悪知恵の回転の早さでビートルズを圧倒したとも言えるでしょう。ともかくこうしてマレー・ザ・Kがビートルズの取り巻きに加わりました。
翌2月8日の朝に行われた記者会見には4人揃って出席しましたが、その後のセントラル・パークでのフォト・セッションにジョージは顔を出さず、残りの3人だけで撮影が執り行われました。そして同日の午後1時30分、マンハッタン、ミッドタウンにあるCBSのスタジオ50でエド・サリヴァン・ショーのためのリハーサルが行われています。この時もジョージの体調は戻らなかったためホテルに留まり、サウンド・リハーサルは3人のみで行われました。リハーサル後、ビートルズはCBSスタッフにプレイバックを要求しています。従来までこのような要求をしたアーティストは皆無でした。彼等の最大のチェック・ポイントは、演奏と歌のバランスでした。こういったテレビ番組では往々に見られるのですが、歌が演奏より必要以上に大きくミキシングされがちであったのです。結局決して妥協しないビートルズ側の主張が通り、CBS側が従来までの手法をこの日、初めて改めたのでした。恐らくサウンド・リハーサルで演奏のバランスに気を使ったメジャー・アーティストはビートルズが初めてだったでしょう。歌だけでなく演奏そのものもパフォーマンスの一部である発想自体が非常にロック的であり、ビートルズを史上初のロック・アーティストと呼ぶ所以はここにもあったのです。
この続きはまた後日。