ビートルズ、アメリカ・デビューまでの道程(1963〜64年)/(その13) | John's BOOROCKSブログ-I Love The Beatles, Fender Guitars & Movies!

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昨日続きです。ビートルズのアメリカ侵攻作戦の総仕上げ、「I Want To Hold Your Hand」の全米1位の勢いそのままの快進撃がいよいよ始まります。

'64年2月7日イギリス時間午後2時30分、2000人のファンの見送りの中、ビートルズを乗せたパンアメリカン航空101便はロンドン空港を離陸。2日前に先乗りをしたネムズの広報担当ブライアン・サマーヴィルを除くビートルズのスタッフ、マネージャーのブライアン・エプスタイン、プロデューサーのジョージ・マーティンと彼の秘書ジュディ・ロックハート=スミス(後にマーティンの妻となる)、ロード・マネージャーのニール・アスピナール、マル・エヴァンス、ジョンの妻シンシア、カメラマンのデゾ・ホフマン、そして数人の記者達(リヴァプール・エコー紙のジョージ・ハリスン、イヴニング・スタンダード紙のモーリン・クリーヴ等)が同乗していました。そして何故かアメリカの著名レコード・プロデューサー、フィル・スペクターもビートルズと同じファースト・クラスに搭乗していたのです。彼はこの日の別の便で帰国することになっていたのですが、独特の嗅覚でビートルズと共に帰れば注目を集められる、更にビートルズと個人的に知り合うことも悪く無いと考え、急遽同乗することにしたのでした。機上でスペクターと最も親し気に会話をしていたのはポールだったのですが、後の『Let It Be』のプロデュースをめぐるスペクターとポールの確執を考えると、何やら因縁を感じてしまいます。

機内でのビートルズは、アメリカに対する期待よりも、「何でもあるアメリカが本当に我々を必要としているのだろうか」という大きな不安に苛まれていたようです。そんな思いを抱いたまま、2月7日アメリカ時間午後1時20分、ビートルズを乗せたパンナム機は9時間の旅を終え、ケネディ空港に着陸しました。彼等を出迎えたのは、3000人とも5000人とも言われるティーン・エイジャー(しかも99%が女性)による、これまで聞いたこともないような大歓声でした。彼等はその歓声が誰に向けられたものか戸惑っていたのですが、彼女等の持ったプラカードに「Welcome The Beatles」「We Love The Beatles」等の文字を見た瞬間、機上での杞憂が雲散霧消します。当初、彼等の到着時間は極秘とするはずですが、ニューヨークのラジオ局WINSのDJ、マリー・ザ・Kが彼等の機のフライトナンバーまで電波に乗せてしまったのです。それ以降、全ての局が彼等の出迎えを煽り始めた結果、この大群衆となったのでした。
同行したシンシア・レノンによると、この混乱を切り抜けるため、エプスタインが冷静に指示を出したという。彼は「ビートルズの4人は私と、ニールとアルはシンを守って来い。準備は万端だ、車の手配も、税関の通過も不要だ。」と告げたとのことです。

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(シンシア・レノン著『瓦解へのプレリュード』シンコーミュージック刊/ジョンと同行した初の渡米の様子も書かれている。)

ビートルズ一行は、先乗りしていたブライアン・サマーヴィルに導かれて税関での荷物チェックを終えてから、メイン・ターミナルの一階にあつらえられた特設記者会見場に直行しました。ここに集まった記者200人を仕切るのは至難の業であったことでしょう。実際にいくら静めようとしても聞く耳を持たない記者達に、サマーヴィルは遂に「黙れ」とマイクで叫んだほどでした。この場にはキャピトルの社長、アラン・リヴィングストン以下大勢のキャピトル・スタッフが詰めていましたが、ビートルズと同行したジョージ・マーティンは彼等キャピトル勢によってビートルズから引き離されたということです。キャピトル側は「ビートルズが、キャピトルのレコーディング・アーティストである」と公言していた手前、彼等のアメリカ・デビューに関して、マーティンにはキャピトルに煮え湯を飲まされてきたことを暴露されたくなかったのでしょう。こうして大混乱の中、記者会見が始まりました。

この続きはまた明日。