アメリカのEMI傘下レーベル、キャピトル・レコードにディストリビュートを拒まれたビートルズは、アメリカのインディーズ・レーベル、ヴィー・ジェイ・レコードと契約を結びましたが、1963年時点ではビートルズもアメリカ市場では全く鳴かず飛ばずの状態で、一旦はヴィー・ジェイもビートルズのレコードのリリースを放棄するまでに陥ったのですが、1963年末から1964年初頭のキャピトルのビートルズへの大プロモーションで、息を吹き返したヴィー・ジェイは、あらん限りのリリース・ラッシュでビートルズのレコードをリリースしまくりました。
しかし結局、ヴィー・ジェイ・レコードがリリースしていたビートルズの音源は、'64年10月にキャピトル・レコードに引き継がれ、市場にヴィー・ジェイ盤が姿を消した時期を見計らって、アルバム『The Early Beatles』(米Capitol ST2309)として、形を変えて'65年3月22日にリリースされています。余談ですが、このアルバムは『Introducing The Beatles』の焼き直しに近いため(英国盤『Please Please Me』から「I Saw Her Standing There」「Misery」「There's A Place」の3曲を抜いた11曲という構成)、RIAAからゴールド・ディスク認定されたのはリリースから9年を経た1974年1月8日であり、ビートルズのアルバム中、最もミリオン認定までの時間が掛かった作品となっています。

こうして1963年時点で、アメリカでのビートルズ・レコード・デビューはほろ苦いとものとなったのですが、数カ月後のアメリカでの突然の大ブレイクを、この時点で誰が予想できたことでしょう。
この一方、イギリスでのビートルズ人気の凄まじさは留まるところを知らず、63年11月1日から始まった全英ツアー、そしてクリスマス・ショーまで、ファンの絶叫が絶えること無く響き渡り、そのため「ビートルマニア」の言葉は海を超えてアメリカまで伝わりました。
63年11月16日には、ビートルマニアの評判を聞いたアメリカの放送局が大挙、取材に押し掛けて来ました。取材チームを寄越したのはCBS、NBC、ABCの3局でしたが、CBSの記者、アレキサンダー・ケンドリックスの報告はビートルマニア現象とビートルズを馬鹿にしきったもので、ビートルズには音楽性が感じられないとしていました。恐らくこの時期のアメリカのマスコミのビートルズ観は、この記者とほぼ同様であったと思われます。
従来アメリカのマスコミは、それほどまでにイギリスのミュージック・ビジネスを軽視して来たのです。数カ月後にはアメリカさえもビートルマニア熱に蹂躙されるなどとは、思いも寄らなかったことでしょう。しかしこの取材によるニュースがアメリカで放映されるのは、12月まで待たねばならなりませんでした。11月22日に全世界を揺るがす大事件、ケネディ大統領暗殺事件が起こったためでした。
この続きはまた明日。