「プラトーン」 戦争は正義も悪もない。 ただ狂気を生むだけ・・・ | まろのパパさんのブログ

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最初に言います。残虐な描生があります。それを認知して観てください。

 

『プラトーン』 (Platoon)は、1987年に日本で公開のアメリカ映画。オリバー・ストーン監督が自らの従軍経験を基にベトナム戦争の悲惨さを描いた作品です

 

 

 

正に戦争は人を狂わせます。

当時、アメリカ正義に一石を投じたオリバーストーン監督は凄い

 

ここでは、無名のジョニー・デップがガーター・ラ-ナーとしてバーンズの通訳役として演じてます。

プラトーンのジョニー・デップ

 

ここでのコメントが考えさせれます。

この映画で真に偉大なのはバーンズなんですよ。 ベトナム戦争がアメリカという国に残した爪痕は深いんだけど、この映画には正義についての重要な示唆がある。 これはオリバー・ストーン監督の自身の体験を基に作られているわけだけど、要は新兵であるチャーリー・シンが監督自身だということ。 即ちあの新兵の最終結論が、監督の得た「正義」というものだと解するのが正しい。 最初はデフォーの方が好きじゃない。あのニコニコのエリアスね。 反してベレンジャーのバーンズは嫌いと。狂気に彩られた男。 さて、この二人は反目し合っているんだけど、それはどのようなことなのか、と。それを感ずることがこの映画の鑑賞の要諦なんですよ。 エリアスは優しい。新兵に何かと世話を焼き、面倒を見てくれる。厳しい戦場に在って、人の優しさを失わない。だからクリスはエリアスに懐くようになる。 一方バーンズは厳しい。敵とみれば容赦なく女子供でも平然と殺せる。それを邪魔する者は味方ですら許さない。冷酷にして非情。 あのエリアスが殺されるシーン。哀れだよなぁ。信じていた仲間にまさか撃ち殺されるとは。そして何事か祈るように斃れて行くあの姿。 まあ、これを以ってストーン監督はベトナム戦争の狂気を描いたのだと多くの評論家も言っている。 でも私は違うんだな。全然違う。 エリアスのことをよくよく観てみればいいんだけど、あれは理屈人間なんですよ。現代人なの。いい人さんというものを演じているんです。嘘の人間ということなんだね。 だからやっちゃうじゃない。『麻薬』を。しかもクリス達にも勧める。 何でかって、嘘を生きるには必要なものだからなんですよ。あのシーンを入れたということが、ストーン監督にとって重要な点なの。バーンズはそれを知って毛嫌いするじゃない。 そうするとエリアスの言動の全てが嘘であることがわかって来る。綺麗事と誤魔化しが垣間見えてくるのね。 反対にバーンズの言動は一切揺らがない。常に貫通したものがある。その貫通したものが何かと言えば、ベトナム戦争における真実というものなんですよ。あの全てが嘘で塗り固められた戦場で、唯一の真実とは何か。 それが敵を殺すことが正義である、ということなんですね。戦うというのはそういうことだから。 ベトナム戦争の傷跡というのは、嘘による人間破壊なんです。戦争が人間を破壊することは無いんです。嘘なんですよ、人間を狂わすのは。 エリアスの死後、クリスはバーンズを益々憎むようになるわけだけど、それはクリスの「バーンズ化」なんですね。クリスの言動がバーンズのそれになっていく。 そしてあのテト攻勢のさなかの復讐よ! バーンズと全く同じことをやるのな。つまり、だ。クリスはバーンズになったということ。バーンズの体現する戦場の真実、正義というものが最終結論である、というのがストーン監督の『プラトーン』の魂だということ。 その真実を掴んだから、ベトナム戦争帰りのストーン監督は壊されなかったのな。しかもそれを魂の奥底に打ち込んだから。だから世界的な人間となったということ。

 

そして、エリアスが死に

Platoon1986



 

 

 

バーンズも死にました。



 

 

 

この映画を観て正義と悪の明確な答えは、ありません。

 

個々で判断してください。

 

観てない方は、死ぬまで一回見てください。