人の顔は不思議と何かを物語る。


悪い人は面構えも悪くなり、良い人そうな人は優しい顔になる。

とは限らない。

得てして、人はみかけによらず…なんてことが多々ある。

顔だけでは全てを判断できないし、それだけで判断はしてはいけない。

ただ、人の顔はどんどん変わっていく。

それは、良いようにも悪いようにも変わる。

単に、年を重ねるという理由だけではない。

怒ったり・泣いたり・笑ったり…全てのその人の経験そのものが、顔を形成するのだと思う。


私の顔は…というと、ここ数カ月で変わってしまった気がする。

顔が不幸というか、疲れた顔になったなぁ~と昨日気付いた(遅っ)


思いつく理由としては…

・ 寝れないために起きている時間が長い
 =重力(G)により、下に一通り落ちていく
 =お肌ボロボロ

・ 食べれずで痩せる
 =ほほこけて、やつれた感満載

・ 笑うことが少なく、泣くことが多い
 =不幸顔出来上がり~(爆)


色々あったし、仕方ないで済ませてはいけない。

自分のことだし。


そんな時に、出会った本。もちろん歴史系だけれど、ある意味で的を得ていると思った。

自分への備忘録


<抜粋>

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こころが騒ぐたびに、眠れもせず、食物も口へ入らぬというのでは、

草の者として十分のはたらきはできぬ。

草の者は、まず、おのれの肉体に忠実でなくてはならぬ。

それがためには、おのれのこころを、おのれであやつることを知らねばならぬ。

たとえば、どういうことかというと

「危難に遭遇したときは、まず、笑うてみよ」

   中略

死ぬる覚悟をさだめたとき、

「まず、笑うてみよ」

笑えるわけのものではないが、ともかく、無理にも笑ってみる。

すると、その笑いが、おもわぬ力をよび起してくれる。

   中略

(もうだめだ…)とか(これで終わりだ)

とかの、絶望と悲嘆の情緒へ落ち込む前に、まず笑ってみる。

すると、その笑ったという行為は、ふしぎに人間の心へ反応してくるものなのだ。

また、それでなくてはならぬ。

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草の者(=忍者)ではないけれど、当てはまるところがある。

人は食べて寝る等の最低限の基本要素がなければ、仕事や普通の生活を営むことが困難となる。

実際に自分がそういった状況であった。

仕事も手に着かず、通常生活も様子がおかしい。

つくづく私が如何に弱い人間かと思い知らされた。


そしてある人に言われたこと、「最近 本当に笑ってないでしょ?!」と。

今更だけど、絶望的と思えるなら、どうせなら逃げずに笑ってみよう。

不敵な笑みを浮かべてみれば、本当に心から笑えてくることが起こせる気がする。

(ちょっと怪しい人になる可能性はあるけれど)

【追い詰められた人間ほど、強い】と、よく言われる。

死んだつもりになれば、怖いものはない。

どうせなら、できるだけ笑って強くなろう♪と思う。


とにかく、まずはいっぱい笑って心と顔のリフトアップ+α!!!

人ひとりの思慮が、どれほどのものか。

それは、まことにもって頼りないものである。

後の世になって、過ぎ去った事を、とやかくいいたてることなれば、だれにでもできる。


疑われて、失敗をいたすより、信を置いてなお、破れるほうがよい。

疑うて破れたときはなかなかに立ち直れぬものだが、

信じるがゆえに過ちを見るときは、かならず立ち直ることができる。

すべてがわかったようなつもりでいても、双方のおもいちがいは間々あることで、

大形にいうならば、人の世の大半は、人びとの【勘ちがい】によって成り立っているといってもよいほどである。

人間という生きものには、なまじ、人の心を忖度する能力をそなえているがために、

また、その能力を過信するあまりに、

「おもわぬ結果を迎えて、意外なおもいをする・・・」

ことが多いのである。


人の言葉というものも、まことにたよりないものなのだ。

なまじ、言葉に出してしまったがために、その自分の言葉に責任を感じ、おもわぬ方向へ自分が歩き出してしまうことさえある。

また、おのれが吐いた言葉の消滅を願うあまり、知らず知らず、わが身を破滅させてしまうこともある。

また、そのために、かえって栄達や幸福をつかむこともある。