自分も悪いのに、苦しんでいない人を恨めしく思ってみたり。
約1年がたっていて、だからこそ思い出すからなのか。
それまでの間に、どれだけの本を読んでみたり、高尚な話を聞いてみたり、
色々な人に相談にのってもらったり、ただただ話を聞いてもらったり…。
それ以外にも、新たな人との出会いや、楽しいイベント。
気を紛らわしたり、鬱憤をはらすようにしてきてみても、ダメだ!
動けないわけではない。
ただ、腹立たしく思ったり、純粋に【嫌だ!】【イラっ】という感情が表に出てくる。
その度に、自分を腹立たしく思ったり、切なく思ったり、それでも相手を許せなくて、何か…と思ってみたりする自分。
着実にではあるけれども、きっと前に進んでいるはずなのに、何度も何度もプレイバックが起きて、何メートルも引き戻される感じ。
全て、恥もプライドも、自分の人生さえも捨ててでも、あの人を貶めて…なんて怖いことも思っている自分。
そうしよう、と思っている自分。
糧にはできないのか。
日本人らしく、生きることはそんなに難しいのだろうか。
今だから、まだ出来ないのか。
これからもこうなのか。
見たくなくても見れてしまう、色々なこと。
そんな現代社会のテクノロジーへさへも、恩恵を受けているくせに恨めしく思ってしまう。
見なければいいだけなのに、そんな簡単なことすら、【欲望】という2文字に負けてしまうのか。
人というのは難しい・変な生き物だ…と思う。
宮崎賢治の闇の中に入り込んでしまったような。
正確には、自分の完全なる【闇】部分なのだろう。
人間、私とは複雑なような、単純なような生き物である。
全てを感情のままにぶつければ、これほど難しくはなく、ただただ全てをかなぐり捨てるほどの覚悟と気合を持てばよい。
それであれば、その他のことは考えず突き進み、それで誰が悲しもうと、自分が人生を終わろうと、それが終わりであって。
きっと、それがある意味では自然な形で、従順であると言える。
その反対側であり今の形というのは、それなりに生きてきた歴史の中で、守りたい何かがあって捨てきれずに約1年も経ってしまった自分の不甲斐なさ。
これへのぶつけ方を知らず、のらりくらり生きている、私。
阿修羅になれ。
きっと、それは適切な言葉ではないのだろうけれど、今、少し自分にかける言葉不足中