こんばんは
夜明け頃20.5℃、昼間32.7℃ーーー連日と
ほとんど変わらない酷暑の一日でした。

今年はオリンピックイヤーでしたが新型コロナの影響で
次回は2020 +1(プラスワン)大会とーーと、

でもどーなんでしょう!?

そんな今年であった為ではないのでしょうが
先日訪れた海田総合公園にこんなモニュメントの展示が
されておりました。
地元、広島県出身でまして隣町の方で
日本人初のオリンピック金メダリスト、織田幹雄さんーーの、
三段跳びの勇姿をご覧下さい。

1928年(昭和3年)アムステルダム五輪
無名の身長167センチの小柄な織田の跳びに

世界は唖然としてそれ故の跳んだ?ハプニングーーも、
興味お有りの方は文末ーーを、

ご覧下さい。正雄も初めて知りました。

三段跳びーー最後の跳躍シーンです。
 

 

 

 

授賞、記念銘板です

 

 

我こそはと思わん方ーーは、
是非並んで跳び比べて見て下さい、正雄も50年若ければ
挑戦してみたものーー、!?。

 

 

上の画では
全跳躍シーンは分かりにくいのでシーンを切り出し
加工してみました。
本邦、初公開?です、

日本人初の金メダリストの跳躍シーンです。
ご覧下さい。


※ちなみに現在の三段跳び世界記録は18.29m。(1995年)



ノーマークの小柄な日本人が
金メダルーーを、こんなハプニングが記されておりました。


”織田は予選で2回目に15メートル21センチを跳んだ。
決勝ではそれを超えることはできなかったが、予選の記録も
最終成績に含まれることになっており、
それが生き残って優勝となったのである。
予選の織田の組には世界の強豪がそろった。
「これで闘志がさらに湧いた。勝てる、とね」
負けず嫌いの性格が大舞台での勝負を制した、という。
対照的に強豪たちは無名の身長167センチの小柄な織田の
跳びっぷりにあおられ、平凡な数字しか残せなかった。

「日章旗が上がり、国歌が流れたときは涙があふれた。
夢のようだった…」

織田はそう日記に記したそうである。
実は、競技が終わったときはドタバタだった。
日本はノーマークで、大会本部は「君が代」の

レコードも分からず、
日章旗の用意もなかった。優勝などありえない、

と思われていたのである。
国歌は途中から始まり、途中で終わった、という。

ただ、日章旗は上がった。
メダルを取って場内の応援団に行くとき体を包む

国旗を担当者に渡して掲揚してもらった。
ところが2、3位の選手の国旗の4倍くらいの大きさで、
世界のスポーツ界に派手なデビューを果たしたのだった。
終わった後、控室で廣田弘毅大使(のち首相)らと
国歌を大合唱、大いに盛り上がった。ーーと、。
                            -資料より-

記事を書いてますとーー新型コロナウィルス騒ぎがなければ
素直に世界の選手たちの最高のプレーが

観れ楽しめたものーーを、
今となっては2020年 +1(プラスワン)も有無も

分からないまま
期待も高揚感も失せてしまってる正雄です。

夏の日長に汗拭き拭き書き上げた今日の記事ーー
お付き合い有難うございました。

以上、

 

エイシン