アイリスが予定より早く家に帰ると、母は何も聞かずに紅茶とクッキーを用意してくれたので、紅茶を一口だけ飲んだ後、事の経緯と聞きたいことを伝えた。
祖母について、母がマルティアについて知っている理由等、色々聞いてみたが、母は静かに立ち上がって、近くの棚から何かを持ってきた。
「私の母、あなたから見たらおばあちゃんが亡くなったのは、私が結婚する前で、急なことだったの。亡くなってから、日記をつけていたことを知ったくらい、母は私に自分のことをあまり語らなかった。父親が誰なのかも最後まで教えてくれなかったし……」
「え、おじいちゃんの写真あるでしょ?」
「母が亡くなった後に、遺品整理してたら写真が出てきたの。あとは、日記に父について書いてあったから、それで私が生まれる前に亡くなってたことを知ったって感じね……」
飲みかけの紅茶を飲み干した母は、また口を開いて語り始めた。
日記によると、祖母は若い頃にマルティア国に行き、たまたま出会った男性と一緒に過ごす中で、恋に落ちた。
結婚して欲しいと言われ、とても嬉しかったが、プロポーズされて初めて相手が王子であると知り、隠されていたことにショックを受けた祖母は、このまま付き合いを続けるべきか悩んだ。
そんな中、相手の父親である国王から交際を反対されたことから、別れを告げてマルティア国を去ったらしい。
その際にもらったというペンダントは、受け取るつもりはなかったが、思い出としてもらうことにしたそうだ。
それ以降はマルティア国には足を踏み入れることはなく、帰国後に出会った男性と結婚し、アイリスの母が生まれた。
「ペンダントを握りながら、ごめんなさいと口にしている姿は見たことがあって、今思えば、たまにその人のことを思い出していたのかもしれないわね。……それでね、日記を読んでから、私も一度マルティア国に行ってみたの。あなたにあげたペンダントをつけてね。でも、私は王家の人には出会えなかった。……だから、あなたに行くことを勧めたのかもしれない」
「……そうだったんだ。あれ、でも、どうしてお母さんがマルティア国の歌を知っていたの?」
「マルティア国の歌?」
「うん。王家に伝わる歌らしいのだけど……」
アイリスが歌ってみると、母は意外そう顔をした。
「その歌がマルティア国の王家に伝わる歌?……そういえば、小さい頃から聞かされていたのに、周りの友達は誰も知らなかった」
「歌を知る機会ってなんだろ……?」
「城に行ったことがあるにしても、一度じゃ覚えられないはずだし、不思議ね……」
アイリスが同意するように何度か頷く。
「ねえ、お母さん」
「なあに?」
「お母さんはおばあちゃんのこともっと知りたい?」
「そうね……。知ることができるなら嬉しいかも」
「じゃあ、私、もう一度マルティア国に行って来るね」
アイリスの言葉に、母が何故だろうと言いたげに首を傾げたので、祖母が恋に落ちた相手がまだ生きていることを伝えた。
「そうなの……」
「私が出会った人のおじいさんでね、年齢のこともあるから記憶が定かじゃないところもあるかもしれないとは言われたけど、隠居してるから、会おうと思えばいつでも会えるみたい」
「そっか……。母のことを知る機会が来たのかもしれないわね」
「あ、でもおじいちゃんが怒ったりしないかな?」
「父が?大丈夫だと思うわよ。日記の情報だけど、父は小さいことは気にしない明るい人で、マルティアでのことで落ち込んでいた母を元気にしてくれたみたいだから」
「それなら良いかな」
母の言葉に安心したアイリスは、母との話が終わった後に、リアムにマルティアに行くという連絡をしたのだった。
・
アイリスがマルティアにもう一度やって来たのは、2週間ほど経ってからのことだった。
すぐに行く予定だったが、リアムとの予定が合わなかったのである。
その間に祖母の遺品をもう一度母と見直し、あるものを見つけたため、それも一緒に持ってきた。
空港に着くと、派手に着飾ったリアムが立っていて、あまりにも目立っていたせいもあり、ひとまず他人のふりをして通り過ぎようとしたのだが、すぐにリアムに捕まった。
「やっと会えたね、アイリス!」
「いや、2週間ぶりとかでしょ?それに、間が空いたのはあなたの予定のせいだから」
「それはそうなんだけど……。ちょっとくらい会えて嬉しいとか思ってくれても……」
「ほら、リアムのおじいさんに会いに行くよ!」
リアムの話を聞かずに、先への行こうとするアイリスに対し、リアムは残念そうな、悲しそうな表情を浮かべながらも、アイリスの荷物をさりげなく預かり、一緒に車の方へと歩いていく。
リアムの祖父が住む離宮は、車で20分ほどだった。
着いてすぐに離宮の一室に案内されたが、室内には誰もいなかった。
「この部屋、眺めが素晴らしいね!」
「離宮の中で1番窓が大きくて、眺めの良い部屋なんだ。僕のお気に入りの場所でもある」
「へー、そうなんだ」
アイリスが適当に返事をしながら、外の景色を見ていると、
「なんか冷たいなあ……」
とリアムは言ったが、アイリスの耳には届かなかった。
「リアム、そちらがこの前話していた女性か?」
ゆったりとした男性の声に振り返ると、杖をついた年配の男性が立っていた。
「そうですよ、おじい様。アイリスさんです」
「会いに来てくれてありがとう。お茶を用意させよう」
リアムの祖父は、アイリスにソファに座ることを勧めたので、改めて挨拶をした後、言われた通りにソファに座った。
その様子を見届けた後、リアムの祖父も向かい合わせになるように座り、その横にリアムも座った。
リアムの祖父は、リンデンという名前らしく、名前で呼ぶ者もいなくなったので、アイリスには名前で呼んで欲しいと言った。
「アイリスさん、あなたがあのペンダントをお持ちだとリアムから聞いたよ」
「は、はい……」
カバンからケースに収めたペンダントを取り出し、目の前のローテーブルに置いた。
「あなたのおばあ様のカリナさんに、それを渡したときのことをまだ鮮明に覚えているよ……。あの時、私がもっと自分の周りに気を配っていればと、何度も考えた……」
リンデンは遠い目をしながら、そんなことをぼそぼそと呟いた。
そして、これまでのことを少しずつ話してくれた。
それは、アイリスの祖母カリナとこういうところの行ったという話や、プローポーズをした時の話等、思い出話がほとんどだったが、写真や日記でしか知らない祖母を身近に感じられた気がして、アイリスとしては嬉しかった。
そんな中、リンデンが最後に話したのが、別れることになった理由だった。
確かに、リンデンは王子であることを隠していたが、そのことでカリナは怒ったりはせず、むしろリンデンを支えようと城に何度も訪れ、合間にリンデンの姉の子どもをあやしたりしていたという。
きっとその流れで、王家に伝わる歌を知ったのだろうと思いながら、日記に書かれていることと違うことにアイリスは驚いていた。
けれど、話を聞いていると、もしかすると、リンデンが悪く思われないように、あえて事実と違うことを書いたのかもしれないと思えてきていた。
「私は、カリナとこのまま一緒に過ごしていけると思っていたが、ある日を境に彼女は笑わなくなり、城にも来なくなった。……そして、急に別れを告げられ、彼女は国を去っていった。その時は、どうしてなのか分からず、何度か彼女と連絡を取ろうとしたが、彼女は返事をしてくれなかった。……婚約者との結婚後に、私の父と父が決めた婚約者が、彼女に別れるようにと圧力をかけ、嫌がらせのようなこともし、耐えきれなくなった彼女が去ったのだと知った。その時にはもう彼女とは連絡を取れなくなっていて、恨まれているのだろうと思っていたよ……」
リンデンは、話ながらうっすら涙を浮かべていて、カリナが苦しんでいたことを気付けずなかったことを後悔をしているのだと、アイリスは感じた。
涙が溢れそうになっているのに気付いたリアムがハンカチを差し出すと、リンデンはお礼を言って受け取り、ささっと涙を拭った。
「あの、私は祖母と会ったことがなくて、写真と日記とかでしか知らないのですが、きっと祖母はあなたのことを恨んでいなかったと思います。家に帰った時に、母と一緒に祖母の残したものをもう一度見てみたんです。そうしたら、宛名のない手紙が見つかって……」
そう言ってアイリスがカバンから取り出したのは、少し黄ばんだ白い封筒だった。
リンデンに差し出すと、躊躇いがちにその手紙を受け取る。
手紙には、リンデンを信じきれずに別れを告げてしまったことへの謝罪と、過ごした時間へのお礼が書かれていたが、リンデンを責めるような言葉は一つも書いていなかった。
ただ、リンデンへ渡す予定はなかったようで、手紙の最後にはリンデンには届かないだろうけれどといったことも書いてあった。
手紙を見つけたのはアイリスの母で、アイリス自身は手紙の中身を知らないが、リンデンの反応から、良い中身なのだろうと判断した。
「彼女らしい手紙だ……」
リンデンは手紙を読みながら、それだけ口にした。
「アイリスさん、あなたのおかげで彼女との誤解のようなものが解けたような気がするよ……。もし、あの時、私が彼女のことをしっかり見ていれば、父とも話し合い、良い形で彼女との関係を続けられたかもしれない……。でも、もしそうしていたら、あなたにもリアムにも会えなかった。人生の選択は難しいね……」
リンデンの言葉になんと返事して良いか分からず、アイリスがただ「そうですね」とだけ口にすると、手を差し出されたので、その手に自分の手を重ねると、ぎゅっと握られて上下に振られた。
そして、その後一緒に食事をしながら、アイリスのこれまでを話す事になった。
リンデンはにこにこしながらその話を聞き、たまにリアムが質問をしたり、アイリスと出会った時のことを、少し盛りながら話す。
そんな様子が何故かおかしいような、面白いような気がして、途中から楽しく思えたアイリスだった。
食事後は、リンデンに別れを告げ、ホテルまで送ってもらうことになった。
車内は運転手とリアムとアイリスの3人だったが、リアムが何も話さなかったので、アイリスも話さなかった。
20分ほどでホテルに着いたので、
「祖母のことも分かったし、明日私帰るから」
とだけ言って車を降りようとすると、腕をリアムに掴まれた。
「帰るのか?」
「うん。そろそろ仕事もしないとだからね……。それに、母も祖母の話聞きたがってたから」
「そうか……」
「……じゃあね。忙しいだろうし、見送りはいいからね。本当に色々ありがとう。また、改めてお礼に何か送るから」
アイリスはそう言うと、車を降りてホテルの中へと向かった。
今度はリアムも引き留めてこなかった。
・
次の日。
アイリスが朝から空港へと向かうと、何故かリアムがすでに来ていた。
「どうしたの?見送りは良いって言ったのに」
「俺が君に逢いたかったんだ」
「またそういうこと言う……。誤解されちゃうよ?」
「誤解じゃないって言ったら、信じてくれるのか?」
「え……?」
「俺は君とこれきりにしたくない。また会って欲しい」
真剣な目で見られながら言われたことで、冗談ではないとアイリスも分かった。
それでも、自分もそうなのかは今は分からなかった。
「今の私は、あなたに言葉に応えることはできない……。まだ過ごした時間が短いから、リアムのことどう思ってるのか自分でも分からないから……」
正直に答えると、リアムは少し嬉しそうに笑った。
「それは嫌いではないってことで良い?」
「そう……だね。嫌いじゃない」
「それなら、まだ可能性あるよな。長期戦で頑張るよ」
「まあ、頑張って」
アイリスがそう言うと、はははとリアムが笑った。
「あ、先に言っておきたいんだけど……」
「何?アイリス」
「私は、母をひとりにできないから、もしあなたと結婚する話になったとしても、この国で住むという決断はできない……。それだけは覚えておいて欲しい」
「……分かった」
リアムが頷いてくれたことで、アイリスは安心した。
「じゃあ、またね」
「ああ。また会いに行くから待っててくれ」
「まあ、予定があったら会ってあげても良いよ」
アイリスの言葉にリアムが少し残念そうな顔をしたので、冗談だと伝えて、搭乗口へ向かうために手を振って別れた。
次にいつ会うことになるのか分からないが、どこかで楽しみだと感じている自分がいることに、アイリス自身も驚いていた。
実際はリアムから「来ちゃった」という連絡が帰国後に来て、すぐ会う事になったり、王家を捨てると言い出したりと、アイリスにとって落ち着かない日々が始まるのだが、それはまたこれからの話である。
[Fin]