他国からこの国の王に嫁いでもう何年経つだろう。

 数日後には第一王子である息子が王位を継ぐことになっている。

 気付けば長い月日が経過し、故郷で過ごした日々よりも、この国での生活が長くなっていた。そのせいか、もう故郷での思い出や、懐かしいと思う気持ちでさえいつの間にか無くしていた。

「お母様、やはりこちらにいらしたのね」

「アンネ・・・・・・。私に用があったの?」

 最近は王が与えてくれた、離宮で過ごす時間が増えており、これまでよりも人と会うことは減っていた。それでも、子どもたちはことある毎に会いに来るのだ。特に末っ子であるアンネはほとんど毎日会いに来る。

「お兄様がね、お母様に話したことがあるから呼んできてくれって言うものだから・・・・・・。もうすぐ王になるからって、私を良いように使うのよ?」

 頬を膨らませながら言うアンネを見ながら、体は大きくなったが、まだまだ子供っぽいところがあるなと思った。

けれど、そういうところもアンネの良いところでもあるため、変わらずいて欲しいと思っている。

「そう怒らないの。ジュリオが忙しいのは事実でしょう・・・・・・?」

「そうですけど・・・・・・。まあお母様に会う口実ができたし、今日のところはお兄様のことは許します。・・・・・・行きましょ、お母様」

「ええ」

 頷くと、アンネに手を取られ一緒に王宮へと歩いて行く。

 その途中でふと、離宮にあるバラ園が視線に入ってきた。

 離宮を建てた際、私がバラを好きであることを知った王が、バラ園を作ってくれたのである。

 子どもが生まれる前、たまに一緒に散歩したことがあったなと昔のことを思い出す。

「お母様・・・・・・?お兄様の部屋に着きましたよ」

 アンネに声をかけられて我に返る。

 考え事もしているうちに、ジュリオの部屋に着いていたらしい。

「アンネ、母上を連れてきてくれてありがとう」

「別にお兄様のためじゃないわ。私がお母様に会いたかっただけだもの。・・・・・・じゃあ、私は公務があるから行きます」

「公務頑張るのよ」

「勿論です!隣国の使者を黙らせてきますわ!」

 アンネは嬉しそうに微笑むと、ジュリオの部屋から出て行った。

 気が強いところは誰に似たのかしらと思いながら、息子の方へ視線を向ける。

「用とは何かしら、ジュリオ?」

「母上は最近父上に会われていますか?」

 ここ数週間のことを思い返してみると、夫と会った記憶がない。

 元々政略結婚でやって来た私に対し、夫はあまり心を開いてはくれなかった。 

 私に対して優しかったし、不満があるわけではないが、どこか一線を引かれているような感じがするのだ。

 そのせいか、いつの頃からか自分から会いに行ったりすることもしなくなった。

「前に会ったのはいつかしら・・・・・・」

 思った通りのことを口にすると、ジュリオは寂しそうに微笑んだ。

「久し振りに会いに行かれてはどうですか?今日は私室にいるとメイドから聞きました」

「仕事の邪魔をしてはいけないでしょうから、またの機会にするわ・・・・・・」

「仕事であればいいのですね。では、これを父上に渡してくれませんか?急ぎの書簡です」

 理由は分からないが、ジュリオはどうしても私と夫を会わせたいらしい。

 仕事なら仕方ないわねと言って書簡を受け取ると、夫がいるという私室に向かった。

 部屋の前には護衛の者が立っていたが、私の顔を見ると、無言で通してくれた。

 ドアをノックすると、「入れ」という夫の声がした。

「失礼します」 

 おずおずと中に入ると、私が来るとは思っていなかったのだろう。夫は目を見開きながら私を見た。

「アリア・・・・・・、そなたがここに来るのは珍しい。何か用があったのか?」

「ジュリオが急ぎの書簡を届けて欲しいと言うものですから・・・・・・。お邪魔でしたらすぐに退散します」

「いや、そういうわけではないのだ。・・・・・・とりあえず書簡をもらおう」

 夫は受け取った書簡に目を通す。

「まさか、あいつに気を遣われる日が来るとは・・・・・・」

 途中で夫は大声で笑いながらそう言った。

「どういうことですか?」

「いや、大したことではない。・・・・・・今日は何か予定はあるか?」

「いえ・・・・・・」

「ならば話は早い。出掛ける支度を」

「どこに行かれるのですか?」

「行けば分かる」

「行けば分かるって・・・・・・、私も一緒に行くのですか?」

「嫌か?」

「そういうわけではありませんが・・・・・・」

「では、すぐに支度を!」

 夫はメイドを呼び、私を外出着に着替えさせ、自分も外出に着替えると、馬小屋まで連れてきた。

「馬に乗れるか?」

「乗ったことはありますが、一人では乗れません・・・・・・」

「そうか。ならば一緒に乗ろう」

 夫は私を先に馬に乗せた後に馬に乗った。後ろから抱きしめられているような状態で落ち着かない。

「では行こうか」

「はい・・・・・・」

 夫はあまりスピードを出さないようにしてくれたのか、怖いと思うことはほとんどなかった。

20分ほど馬で駆けた後、夫は手綱を引いた。

「着いたぞ。前を見てみると良い」

 促されるまま視線を前に向けると、辺り一面美しい花畑が広がっていた。

「ここは・・・・・・」

「覚えているか?もう何十年も前の話にはなるが・・・・・・」

「勿論覚えています。忘れるはずがありません・・・・・・」

 ここは出会ってから、初めて2人でやって来た場所だ。

 夫は先に馬から下りると、私に手を差し出した。そっと手をのせると、ゆっくりと馬から下ろしてくれた。

「ここは変わらず美しいな」

「そうですね・・・・・・」

「さて、簡単ではあるがメイドたちに食事を用意してもらった。ここで食べよう」

 いつの間に用意したのか、夫は小さな籠のかばんを私に見せた。

 花畑の真ん中で隣り合って座る。

 ただ隣にいるだけなのに、初めて会ったときのように緊張する。沈黙は気まずいが、何を話せば良いか分からない。

「アリア、君と出会ってもう20年近くになるな」

「そう・・・・・・ですね」

「・・・・・・私はきっと良い夫であったとは言えないだろう。子育ても君に任せてしまったし、いつの頃からか君と会う時間さえ作っていなかった」

「・・・・・・私もいつの頃からかあなたに会いに行くことを止めてしまいました」

 躊躇いがちにそう言うと、夫は「そうか」とだけ口にする。

「・・・・・・理由を尋ねても良いだろうか?」

そんなことを本人に今更言ったところで何か変わるのだろうか。

とはいえ、今言わなければ、私と夫の関係は一生このままだ。

「・・・・・・あなたはとても優しかったです。でも、どこか一線を引かれているような気がしてしまって・・・・・・。気付いたらあなたのところに行かなくなっていました・・・・・・」

 そう。いつ行かなくなったかなど覚えていない。

 夫はまた「そうか」と呟き、遠くに視線を向ける。

「なあ、アリア」

「何ですか?」

「王位をジュリオに譲った後、私は旅に出ようと思うのだ」

「旅・・・・・・ですか?」

突然何を言い出すのだろう。

 意図が分からない。

「私は自分の国のことしか知らない。だから他の国も見てみたくてな・・・・・・」

「そうですか・・・・・・。どこに行かれるんです?」

 きっと数人の従者だけ連れて行ってしまうのだろうなと思い、曖昧に返事をする。

「他人事のようだが、君も行くんだぞ?」

「私もですか・・・・・・?」

「そうだ。一緒に色んな国に行って、君とたくさんの思い出を作りたい」

 そんなことを言われると思っていなかったため、どう返事をしてよいか分からない。

 ただ、両手を口にあて、涙を堪えながら、夫のことをじっと見つめ、ゆっくりと頷いた。

「・・・・・・一緒に行ってくれるのか?」

「・・・・・・はい」

「ありがとう、アリア!」

 急に夫に力強く抱きしめられ、堪えていた涙が溢れ出してしまう。

「・・・・・・ジュリアス様」

 気付くと長らく呼んでいない夫の名前を口にしていた。

 夫が王になってから、「王」「国王様」「王様」といった呼び方をすることが多かった。

「君に名前を呼んでもらったのは久し振りだな。もう私も王ではなくなるし、名前で呼んで欲しい」

「・・・・・・はい、ジュリアス様」

 しばらくの間抱きしめ合っていたけれど、あまり遅くなると心配されるという話になり、ゆっくりと城へと戻ることとなった。

 2人の時間が終わることが少し寂しいような気もしたけれど、これから一緒に旅に出ることが出来るのだから良いかとも思うことにした。

 城に戻ると、出迎えてくれたみんなが驚いていた。

 私たちの距離が近かったからか、手を繋いでいたからか、理由は定かではないけれど。

 その後、私と夫が旅に出ることを城のみんなに話すことにした。

 反対した人はいなかったが、アンネだけが口をとんがらせながら、私たちの話を聞いていた。

「アンネは反対なのか?」

 一通り話が終わった後、ジュリオがアンネにそう言った。

「反対なわけないでしょう?お兄様」

「じゃあ、そうやって口をとんがらせるのはやめるんだ。寂しいのは分かるが・・・・・・」

「あ、あら、私そんなに子どもじゃないわ・・・・・・」

 強がるような言い方をしたアンネだったが、どこか悲しそうだ。

「アンネ、私達は旅に出るが、適度な頻度で帰ってくるつもりだ。あと、手紙は届くようにする。それでどうだ?」

 気を遣ったのか、夫がそういったことを言うと、アンネは

「それならいいかもしれないですわ・・・・・・」

 と口にし、「絶対手紙に返事を下さいね、お母様!」と私のところまでやって来て、念を押すように言ったので、「ええ」と私は頷いた。

 ・

 ジュリオが即位をしてから数日後、私と夫が旅に出る日がやって来た。

 こじんまりと出掛けるはずが、思っているよりも荷物が多くなってしまい、ついてきてくれる人も増えてしまった。

 最低限の物だけ持っていこうと荷物をまとめていたのだけれど、パーティに参加するかもしれないと言われ、ドレスや靴、アクセサリー等も持っていくことになったり、どこかに招待されるかもしれないと言われ、訪問着を増やしたりと、様々な人から言われた通りに用意していった結果である。

 そもそも王位はジュリオに譲っているのに、他国で招待される機会などあるのだろうかと思ったりもするが、特に気にしないことにした。

「アリア、最初の行き先なのだが・・・・・・」

 アンネに引き留められながらも、何とか出発をしてから、夫から話しかけられた。

 それにより、馬車の中で夫と向かい合っていたことを思い出す。

 何故か急に緊張してきてしまい、

「は、はい!」

 俯きつつ返事をしてしまった。

「もしかして緊張しているのか?」

「・・・・・・少し。こうして向き合うのは久し振りなので・・・・・・」

「確かに、それはそうだな。・・・・・・それなら、これで解決だな」

 夫は急に立ち上がり、私の隣に座ってくる。

 狭いこともあり、密着度が凄い。

 向かい合うよりも緊張してきてしまって、視線を外の方に向ける。

 それを寂しく思ったのか、夫は私の肩に手を回し、自分の方へと引き寄せた。

「ジュリアス様・・・・・・?」

「いや、何だ・・・・・・。せっかく何年かぶりに一緒にいることだし、距離を縮めたいと思ってな・・・・・・」

 そんなことをどんな顔をして言っているのかと思い、ちらっと視線を向けると、明後日の方向を見ながら、顔を真っ赤にしていた。

 その様子が可愛いと思うと同時に愛おしく感じられ、もっとひっつきたいと思う気持ちから自分から夫の肩に自分の頭をのせた。

 そうすると、夫がさっきよりも顔を真っ赤にしつつも、私の頭を優しく撫でてくれた。

 その動作が照れ隠しなのを知っている私は、ふふと笑いながら2人の時間を噛みしめる。

 こうしていると何年もすれ違っていたのが嘘のようだ。

 これからはこうした時間を大事にして、旅をゆっくりと楽しもう。

 そんなことを考えながら、馬車に揺られたのだった。

 実際には、ジュリオにある意味良いように使われ、外交をさせられたりもするのだが、それはまた別の話である。

 

[Fin]