いつもと同じ道だったのに、その日は何故かある店の前で足を止めた。

 入口の隣に飾られている真っ白なドレスは、電気が付いていないはずなのに輝いて見える。

「綺麗だな~」

 ガラス越しにじっと見つめていると、トントンと肩を叩かれた。

「そのドレス、気になるの?」

 振り返ると、オシャレな帽子とサングラスが印象的な男性から、見下ろされる形で声を掛けられた。

 サングラスを掛けているせいか年齢が分からなかったけれど、声は若く感じる。

「あの・・・・・・」

「あ、俺が誰かって?俺はこういう者です」

 何も聞いていないのに、ジャケットの内ポケットから名刺入れから名刺を1枚取りだし、有香に差し出してきた。

 受け取りながら名刺をよく見ると、【ウェディングドレスデザイナー 東宮奏介】と書かれている。

「もしかして、このドレスをデザインした方ですか・・・・・・?」

「そういうこと。じっくり見てくれてる人がいるなと思って、つい声かけてしまったけど、あやしい者じゃないよってことで、よろしく!」

「あ、はい・・・・・・!」

 差し出された手に自分の手を重ね、軽い握手を交わす。

「で、君は何してる人?」

「あ、私はこういう者です」

 慌てて有香も名刺を手渡す。

 名刺を受け取ると、男性はよく見るためかサングラスを外したので、有香は気付かれない程度にじっと見つめてみる。

 声を聞いたときに思った通り若そうだ。

「へー、出版社で働いてるんだ。えーと、たかなしゆうかさん?」

「ゆか。小鳥遊有香です」

「じゃあ、有香。これから時間ある?」

 急に呼び捨てられて驚いたけれど、気付いたときには頷いていた。

 そして頷いてすぐに、奏介は有香の腕を取って、少し強引に歩き出した。

 どこに連れて行かれるのだろうと思いながら、いつもと違う展開に期待をしている自分もいた。

「入って」

 辿り着いた先で、促されるまま室内に入ると、そこは布やトルソー等が置かれた空間だった。

「ここは?」

「俺のアトリエ。ここでデザインしたり、試作品作ったりしてる。あとは、奥に今まで作ったドレスを飾ったりもしてるな」

「すごい!じゃあ、ここは東宮さんの秘密基地なんですね!」

「奏介」

「え?」

「奏介って呼んで良いよ。俺も有香って呼ぶし」

 もう呼んでると思いながら、

「奏介さん・・・・・・?」

 初対面の人を呼び捨てる勇気がなかった有香は、奏介の顔を見ながら“さん”付けで呼んだ。

「まあ、それでいいや。とりあえず奥に行こう」

 促されるまま奥の方へと歩いて行くと、沢山のドレスがラックに掛けられている空間に辿り着いた。

 いくつかのドレスはトルソーに着せられている。

 入口から見て左側は白いウェディングドレス、右側はカラードレスが並んでいて、正面には簡単な試着室がある。

「すごい・・・・・・」

 思わずそんなことを口にしていた。

「これでも一部なんだ。ここには収まらないから、特に気に入ってる物と最近のを置いてある」

「一部・・・・・・?」

 それでも100着くらいはありそうだ。

「で、有香はどのドレスが気になる?」

「うーんと、このドレスかな・・・・・・」

 この空間に入ったときに一番最初に目に入ってきた、トルソーに着せられた淡いピンクのドレスを指差す。

「それ、俺が一番気に入ってるドレス」

「そうなんですね。本当に素敵・・・・・・」

 ドレスに近寄り、じっくり眺めていると、奏介がトルソーからドレスを脱がせた。

「着てみる?」

「え?でも・・・・・・、良いんですか?」

「もちろん!ドレスに合う靴とか持ってくるから、そこで着替えといて」

 ドレスを有香に渡すと、試着室を指差しながらそう言い、部屋を出て行ってしまったので、とりあえず着替えてみることにした。

 着替えが終わり、試着室から出ると、奏介が戻って来ていた。

「お、着替えたな。じゃあ、次は髪とメイクしよう。靴はこれ履いて」

 言われるがまま靴を履くと、違う部屋ヘと連れて行かれ、鏡の前に座らされた。

 流れるような動作でメイクをされ、髪型は少し悩みながらも慣れた手つきでまとめていく。

「奏介さん、メイクとか慣れてるんですね」

「年が離れた妹がいるんだけど、よくやってくれって言われてたから、それで自然と覚えた感じだな。まあ、プロには勝てないけど」

 仕事に行く前の簡単なメイクですら苦手な有香からすると、手際よく出来るだけでも羨ましい。

「よし、出来た!有香、ここに立って」

 言われたとおり、大きな姿見の前に立つ。

 鏡に映っていたのは、いつものスーツで仕事している自分とは違う、可愛らしい女性だった。

「うわ、すごい・・・・・・。私じゃないみたい」

「ドレスを着るとさ、女の子はみんな魔法にかかるんだ」

「魔法?」

「そ!綺麗になる魔法。もちろんいつもみんな魅力的だけど、ドレスを着ることでもっと魅力が引き出されるんだ」

「じゃあ、奏介さんは魔法使いだね。私に魔法をかけてくれるドレスを作ったんだもの」

 有香が思ったことを口にすると、鏡越しの奏介は顔を真っ赤に染めていた。

「え、奏介さん!?」

 びっくりして声を上げて振り返ると、奏介は有香の頭を優しく撫でた。

「ありがとな、有香・・・・・・」

「お礼を言うなら私の方じゃないかな・・・・・・?あ、ほら!ドレス着せてもらって、メイクも髪もやってもらって・・・・・・」

「有香のおかげでなんか元気になれたから良いんだよ。よしよし」

「なんか、小さい子扱いしてるみたいで嫌だな・・・・・・」

「え、有香何歳なんだ?」

「私、28歳だけど・・・・・・?」

「まじか、同い年だ」

「え、そうなの!?」

「・・・・・・ってことで、さん付けと敬語なしな」

「分かった・・・・・・。あ、じゃあ、奏介。なんか元気じゃなくなることあったの?」

「なんで?」

「いや、元気になれたからって言ったから・・・・・・」

 有香の言葉に奏介はやってしまったと言いたげな表情を浮かべながら、はあと大きなため息をついた。

「・・・・・・今日、依頼人との打ち合わせだったんだけど、どうもデザインが気に入らなかったらしくって、別のデザイナーに頼むって言われて断られたんだ。・・・・・・独立して、認められてきたと思ってたけど、まだまだだなって思って、ちょっと自信を無くしてたんだ」

 有香は、「こんな素敵なドレスを気に入らない人がいるなんて!」と言いたい気持ちを押し殺して、ただ「うん」と言いながら静かに奏介の言葉に耳を傾ける。

「そんなモヤモヤとした気持ちのまま歩いていたら、俺の作ったドレスを眺めてる有香を見たんだ。気付いたら声をかけてて、つい強引にここまで連れてきてドレスまで着せて・・・・・・」

「それについては私も同意したし、気にしないで良いよ。ドレス着れて嬉しいし!」

 有香が喰い気味にそう言うと、奏介は「うん」と言って話を続ける。

「・・・・・・有香と話してたら、俺は大事なことを忘れてたことに気付いたんだ。俺がドレスを作ろうと決めたのは、着る人に幸せの魔法をかけたいと思ったからだって・・・・・・」

「幸せの魔法・・・・・・」

「そう。有香が言ったように、俺はドレスを着た人が幸せだと感じる魔法をかける魔法使いになりたかった。・・・・・・でも、最近の俺は認められることばかりを求めて、ちゃんと目の前の人に向き合えていなかった。・・・・・・思い出させてくれてありがとう、有香」

 改めて面と向かってお礼を言われ、少し照れるなと思いながら、

「・・・・・・きっかけになったのは私かもしれないけど、思い出したのは奏介なんだし、思い出せたならこれからは大丈夫だよ。きっと奏介らしい素敵なドレスが作れるよ!」

 と有香が言ったが、奏介は何も言わない。

「あ、ごめん。ちょっと偉そうだったね・・・・・・」

「違う!・・・・・・ただ、嬉しくて何も言えなかった。有香はすごいな。欲しい言葉ばっかりくれる」

「・・・・・・そう?」

「うん。・・・・・・きっと、いい人がいるんだろうな」

 ぼそっと呟いた言葉は、意図せず有香の耳に届いてしまい、

「・・・・・・いい人?独身だけど?」

 と有香は言った。

「え!?じゃあ、彼氏は?」

「仕事が忙しくて、ここ数年はいない・・・・・・かな?」

 何でそんなことを聞くんだろうと思いながら有香が答えると、奏介は今度こそ有香に聞こえないような小さな声で「よし」と口にする。

 まるで自分にチャンスがあるとでも言いたげに。

「・・・・・・あ、もうこんな時間だ!」

 奏介が喜んでいる間に、たまたま目に入った壁掛け時計の時刻に驚いた有香が声を上げた。

「明日早い?」

「休みなんだけど、妹が遊びに来るから早く起きないといけなくて・・・・・・」

「それは大変だな。とりあえず靴脱いで」

 言われたとおり靴を脱ぐと、ドレスを着た奥の部屋まで奏介が促してくれたので、試着室に入ってドレスを脱ぎ、ここに来たときの姿に着替え、試着室から出る。

「魔法が解けたみたいで寂しいな・・・・・・」

 ふとそんなことを口にすると、

「あとで連絡先教えるから、またここに来て着たいの着たら良いよ」

 と奏介が言った。

「え、でも迷惑じゃない?ドレス買わないのに・・・・・・」

「有香は特別。俺を元気にしてくれたから、そのお礼ってことで」

「んーと、じゃあお言葉に甘えようかな。奏介ともっと話したいなと思ってたし」

 有香の言葉は奏介にとって嬉しい言葉だったが、有香にとって特別なものではない。

 ただ思ったことを口にしているだけだ。

 それに途中から奏介も気付いていたが、それでも有香と近付ける機会を得られるならそれでいいと思った。

「はい、これ」

 有香はスマホの画面を奏介に見せる。

 画面にはメッセージアプリのQRコードが映し出されていた。

 奏介が慌ててスマホを取り出しそれを読み取ると、有香の連絡先が登録されたので、トークルームで適当なスタンプを送ると、有香からもスタンプが返ってきた。

「じゃあまた連絡するね」

「ああ、待ってる」

 建物の入口まで来ると、有香はどっちに行けば良いだろうかと思い、キョロキョロと左右を見渡した。

「駅なら町田駅が一番近いぞ」

「そうなんだ。町田駅の次の駅なの。右?それとも左?」

「駅まで送るよ」

「・・・・・・そう?じゃあお願いします!」

「おう!」

 微妙な距離を開けながら、2人で駅へと歩き始めた。

 とは言っても、5分ほどで駅に着いてしまい、2人で歩いた距離はそれほどではない。

「あ、もうすぐ電車来る!送ってくれてありがとう」

「気を付けて」

「うん、ありがとう。また連絡するね!」

 そう言って、有香は改札を抜けて電車に乗り込んだ。

 電車の中は空いていて、乗った車両には誰も乗っていなかった。

 貸し切りみたいで嬉しいなと感じながら、勢いよくロングシートに腰掛けてみると、独り占めできたような気がした。

 今日はドレスを着たり、誰も乗っていない車両に乗れたりと、非日常を感じられた日だった。

 また奏介に会ったら、新しいものに出会えるかも知らない。

そんな期待を抱きつつ、早く連絡しないとなと思いながら、電車に揺られたのだった。

 実際には、有香が連絡する前に、待ちきれなくなった奏介から連絡が来て、かなりすぐに再会し、御飯を食べに行くことになるのだが、それはまたもう少し先のことである。

 

[Fin]