おはようございます

ご機嫌いかがお過ごしでしょうか?

まだまだ寒い日が続きますが

どうぞご自愛されますように。

 

さて、本日は私が西洋医学から

東洋医学に興味を持ち始めた

きっかけを、お話します

退屈ですが、お付き合いください

 

というか、私は高校の同級生の

同窓会なんかに参加すると

異色です。際立って。

 

なぜかというと、高校は電気科を

学んでいたので、同級生は

だいたい、技術屋です。

 

授業でも、電気専門の先生が

「君ら将来技術屋として・・・」

といわれていましたので、なんとなく

そんな気になっていたものでした。

 

それに、回りは頭が、まあ、思考が

理系なんです。考えかたが。

つくづく思いました。俺は、付いてけない。

 

だったら、なんで、電気の道に

入ったんだ?と思うでしょう?

 

いあや、そのとおりです。確かに。

 

電気に憧れて、入学したんではありません。

そこの、バスケのユニフォームを

着たかったんです。科は何でも

良かったんです。正直。

 

中二のバスケの部活で試合観戦を

しました。学生、実業団を問わず、県で

ナンバーワンを決める石川県選手権です。

 

観戦は決勝戦です。

石川教員対石川県工でした。

県内では金沢大学、金工大が競合でしたが

準決あたりで敗退していました。

 

そうです、高校生が決勝戦に出ているんです。

速攻型の石川県工は、終始リードして

結局、優勝したんです。

 

私は、「ここしかない」って

こころに、決めてしまったですね。

あの、ユニフォームを着たい。

あの、爺さん監督のもとでやってみたい。

 

まあ、そんなわけで、夢にまでみた

高校に入学したわけです。

頭は理系じゃないが、電気の好きそうな

やつらと、同級生となったわけです。

 

さて、私の卒業後は進学ではなく就職でした。

監督が口を利いてくれて、バスケの実業団が

ある、まあ、当時は地元でちょろっとやっている、

世界の「コマツ」を受けました。

 

それが、詳細は割愛しますが、不合格に

なったんです。人生って、面白いですよね。

ほかに、レールが敷かれていたんです。

今にして、思えばですが。

 

もう、地元有名企業は軒並みは入れるので、

同級生は、99厘、就職なんです。

北陸電力、関西電力、松下、日立、

シャープ、富士通、など。

 

有名企業は、90人の約半分です。

あとの半分は、電気工事関係などの

中小企業へ就職です。

すべて、成績順で、受験先が決めれれます。

 

私は、コマツでしたから、いいんです。

それはもう、ところがです。

落ちたんですね。

 

途方に暮れてどうしようかな、次はどこを

受けようかな?なんて思っているところに、

就職担当の先生が

「おい松本、変ったとこから求人来たぞ」

って、声をかけてくれたんです

 

それが、金沢医科大病院でした。

私は、後々、重大な意味を持つことなんか

分かりませんから、なにしろ、就職を決めて

楽になりたかった、だけなんです。

 

仕事内容もろくに、確認していません。

院内の保安かなんかの仕事だと

思っているわけです。当人は。

 

当時は、大卒、短大卒などの就活が

少し遅くて、だからこそ、コマツを

落ちた私が受けれたんですね。

大卒の人たちと一緒に受けました。

 

配属先は、現場だったんです。

当時、透析(とうせき)の国家資格が

なくて、電気系の専門卒なんかを

雇っていたんですね。

 

そんなこと、私は知らないですから、

いきなり、白衣を着て、先輩に

付いたわけです。

 

いや、びっくりですよ。

毎日、血を見て過ごすわけですから。

必死でした。

 

ごめんなさい。

文字数に制限がありますので、

続きをまた、お話します

お楽しみに!