前提として…
わたしはスピ大好き人間だ
霊感とか霊能力は、ナイ
あるのは根拠のない勘と
自分にとって絶対的信用がある
冴え渡る(笑)直感と
そして、自分にはわからないこと
知らない世界のこと
その領域への理解は深い
それは幼少から
説明はできないが笑
否定できるものでもないという
「理解」を携えていた
自分には見えない感じない等が
否定する理由に直結しない
いや、なんなら
自分にわからないものが
存在したり起きていることが
この世になければ
この世は成立していないとも思うから
“スピリチュアル”という表現が
鮮度を失って、古くなっていて
ちょっと今はもう
別の意味合いを表す言葉に
変化しているようにも思う
元々の意味に
古いも新しいもないので
それ自体の正誤はないが
なんだかもう
具体性、信憑性、現実味
証拠のない世界を語る
やべー人とか、夢みる夢子ちゃん的な
揶揄のような表現でも使われている
ような、、
反面で
スピの信憑性や学的根拠が
今は明るみになり
表にも出ていて
科学的見解と併せた
スピ論ができる人も増えている
フワスピでも博士スピでも
どちらも同じことを言っていたとして
受ける側はどちらが吸いやすいか
にもよるだろうし
ふわふわしていることは
否定する理由にはならないが
フワスピだと小馬鹿にされるのは
納得させる力が、その話にはない
ということかなと思う
得たものを表現する方法は
それぞれに異なる
理論的に整然と諭せる人と
感情表現や感覚、感性のままに語る人
それと同じく
徹底した論理で納得して受け入れたい人と
難しくない聞こえの良い語りが
心理的に受け入れやすい人
その享受の質の違い
合致するか反するか
そういうことかな、と
と、なると
思想や世界観や事実を言語化する
この“言語化”がキモだろう
よくあるのは
高い低いで表すこと
次元はわたしも使うが
「高次元」「低次元」というのは
使いたくない(個人的意見)
「次元」に高いと低いがあるだろうか?と
そう定義するのがわかりやすいし
人間は差をつけたがる生き物である
差がないと表せないこともあるし
差は、善悪も本当はない
高いから優、低いから劣
ということもないはずである
どうしても「高次元」を
目的やゴール、答えのように
奉っているような話がある
高次元て…なんだ??笑
言いたいことは
とてつもなくよくわかる
わかりみがすぎる
が
「高次元」と言った途端に
低次元の存在を示唆することになり
「高」という共通認識から
優劣の概念が生まれ
「高」に向かうことが良し
「高」にたどり着くのが目的
「高」でなければ劣である
という解釈ができる
しようと思えばできる
そう感じる人もいるかもしれない
妙な違和感を感じたり
フワだと思われる原因になったり
わたし個人的には
ノイズとして映る
ざらざらとした違和感になる
そもそも
高次元、の説明を
どれだけの人が出来るのだろうか
単純に
次元という見えない世界観
時空的な概念?を
高い低いでしか説明できないせいなのか
「良い」ことを高低という表現とし
低のマイナスの定義はスルーして
「高」のみを表したいだけなのか
もしかしたら
次元にも「高低」はあるのかもしれない
それをどこかでは
解説もされているかもしれない
言語化、という意味で、、
それでもわたしは
次元に「高低」はないと思っている
エリアとか
ゾーンとか
空間や枠?のような
違いはあるのかなぁと思うが
上下なのか左右なのか
点と線なのか
状態はその人の思想の中のもの
高いか低いか
ましてや「優劣」はないだろうと
確かに
「高次元」と聞くと
イメージはしやすい
でもそのイメージは
劣を生むので
高次元に行き着けていない
ナウの自分は、ダメ、不足
「劣」という自覚を生み出す
ある時、なにかのきっかけで
不安のない境地
幸福感に包まれる
死生観が変容する
恐れがなくなる
などの「ゾーン」に入ったとする
ここは高次元だ!となるだろうか笑
何も思わない
何もない
勝敗も正誤も優劣もない
高低などない
なにもない
無
ではないのか?
「高次元」というものが
わかっていて、悟っているとして
高次元について説いているとしたら
その理屈からすると…
わたしは、そこはまだ
「低次元」なのでは?とも思うw
それか
ハイヤーセルフとかの表現による
高次元、なのだとして
「高」をあてているだけとしたら
勿体無い、と思う…
型にはめた、枠通りに
すでに使われている言語を
スライドして使っているだけ
なのだとしたら…
高い次元と低い次元という意味で
高次元という表現をしているのではなく
ラベルとして使っているのなら
真意としては
適切ではないのかもしれませんよね
勿体無いなぁ、、て
わたしならどう言語化するか…
・
・
・
…平屋?笑