ツインレイをテーマに
そこに重きを置いて
他者に伝えるのなら
ツインレイは大テーマ
ツインレイこそ!
て、言い切って
発信してもいいんじゃないの?
てか、言い切ってほしい笑
それが全てではない
ただ、ツインレイを知ると
他のことも見え方、解釈が変わる
ツインレイを知ると
愛すること、愛されること
その真髄を体感できる
ツインレイが100じゃないけど
ツインレイの存在で
世界が変わる…
てことですよね?
それって
ツインレイという概念を知ってようと
知らんだろうと関係なく
その境地に立つことも
体感することも可能で
可能というか
仏教の教えや
その他宗教の教え
心理学、哲学、脳科学
さまざまな分野や学問でも
ある種の悟りは同義なこともあり
真理はひとつで
どの道から
お山のてっぺんへ辿り着くか
の違いだと
わたしは思っている
真理はひとつでも
道はひとつではないということ
最高最愛のパートナーは
「ツインレイ」という
存在や概念を知らなくてもあり得る
可能性があり得る、のではなく
無二のパートナーの存在自体が
まず先であり
それに名称をつけようとしたら
ツインレイだったり
ツインフレームだったり
(諸説あるらしいので)
特別な魂のつながりだったり
名称は説得力を出す定義にはなる
同じことでも
名無しの存在として
「アル」としたら
ツインレイか否かは
知っていても、どうでもいい
知らなくても、どうでもいい
わたしが産み落としたので
「娘」です、「息子」です
血が繋がっているので
「母」「父」です
というような
確証も証拠もないため
概念の共有で確認するしかなく
こういう感情や
こういう体感や
こういう出来事があるのなら…
ツインレイです!となる笑
じゃあそれらの名は
「ツインレイ」なのですよと
聞かされて
あ!そうなのか!嬉しい!
と思うのか
は?何言うてんの?だから?
と思うのか
同じ現象でも
受け取る器や受け取り方
そして「受け入れる」ものさしは
人による
名の付く現象や構造の
知識や知見を
与えたい側は
知らなくて可哀想
氣付けなくて氣の毒
真実がみえてなくて勿体無い
理屈でしか物事を見れない
真理を知ってほしい
さらには教えてあげたい
と感じたり思うだろう
逆の立場は
証拠も事実もあやふやなことを
さも真実であるかのように
言っているやつ、あほちゃうか
世界観や概念に名称をつけて
型や枠にあてはめることで
根拠らしく聞こえているだけ
と思っていたりするだろう笑
どちらも正しい
真実は
人それぞれに持っている
あやふやなものである
あやふやがダメなのではなく
人の数だけ真実がある
同じ物事でも主観による
背景、理由、感じ方、解釈が
それぞれに違うから
事実はひとつでも
真実は人の数だけある
と、ミステリと言う勿れの
整くんが言っていて
(確かこんなような内容と記憶)
めっちゃ納得したし
共感した
だからツインレイのことは
どうでもいい
どちらでもいい
とわたしは常々思う
ツインレイが
何に置いても主題ではないとしても
でも〜それによって〜と
結局付随する結末
ということであるなら
それは
ツインレイありき、という
考え方や体験の説話であるので
ツインレイと出逢えない人
ツインレイがわからない人
ツインレイ自体を知らない人
これらは
愛を知らない
融通が利かない
了見が狭い
捉え方が浅い
ツインレイの世界は
知っていた方がいい
と言っているようなもので
それらが真実や真理だとしても
人に教えるもんじゃない
千日回峰行をされた阿闍梨さまとか
それくらいの方なら
教えられると思うけど
ツインレイのことを
自分の体験談、感想に留め
主観でのストーリーを
物語として語るのみなら
取り手も
創作物語に留めたり
ノンフィクションで楽しんだり
憧れたり
同じことを望んだり
面白い、新しい発見
つまらない、興味ない
etc...
「自由」に扱える
受け取るかどうかも
受け取り方も選べる “遊び” がある
でも
ツインレイというもので
人生がこうなる
人生が輝いていく
というのは
何様なのかと思ってしまう
それらを真に受け取る人がいるとしたら
都合良く正当化したい人に
偏ってしまうのではとも思う
ツインレイ信者
ツインレイ依存
この量産にも加担してしまう
ことになるのは否めないだろう
わたししか
絶対に知らない
誰も同じことは言っていない
ツインレイの真実がある
そんな感じで
強めに?はっきりと
自分だけが悟っていること
という感じで発信されてる
方をどこかで見たけれど
そのくらい
振り切って発してくれたら
痛快やなと思った
内容は公にしていないので
有料なのかそんな感じと思うけど
それくらいの氣骨で
発信すべきテーマであると思う
それが正解かどうかは
それこそ受け手の
器や取り方によるから
正解も不正解もないと思うけど
わたしはこうです!
わたししか出来ない発信!
巷のツイン情報のほとんどは間違い!
他の多くはデタラメに近いっす!
笑
ていうくらいの覚悟が
ひとつの真実として
知ってみたくなるし
興味が湧く
どんなツインストーリーでも
体感や経験は
一っっ切否定しないし
むしろ共感はできるので
ツインレイについては
肯定している派
でも
それをどう伝えようとしているか
なぜ他者にそこまでして伝えたいのか
ここに共感できる人が
非常に少ない…
なんだかんだ、結論的に
ツインレイありき、でなければ
人生損してる
ツインレイと出逢うべき
そんな風に感じるものが
圧倒的に多い
(損してる!と断言してる人は
さすがにいないかもだけどw
言ってることはそうなるよね?て話)
阿闍梨さまとか
本当に悟っている人は
ツインレイがどうとか
多分言わないだろうね…
悟りの切符は
それだけじゃないだろうし
そこでしか手に入らない
ものでもないだろうし
人のことを好きにならない
(なれない?)
という性的な本能的な
種類の人たちがいる
愛情や愛に対して
感性や感情が欠落している人も
様々な背景があったり
先天的後天的に
理由はあるだろうけど
そういう人は
ツインレイというものを
どう感じるのでしょう?
どう捉えるのでしょう?
だからこそ
ツインレイを
皆に共通した感覚や存在であり
見つかるか見つからないか
わかるかわからないか
そんなものさしで
語るものではないと
わたしは思う
わかる人
必要な人に
届けばいい
ということでもあるんだろうけど
強烈に惹かれる感覚や
熱烈な恋心や
例えられない感情や
説明不可能な感覚の、相手
それらが成就したり
しなかったり、別れたり
復縁したり
そこにツインレイであるか否かが
本当に必要ですか?
離れたこと
別れることが
サイレントであるかは
本質として必要ですか?
チェイサーかランナーか?
それ、マジ要ります??
知らなくても
熱く、苦しく、切なく、嬉しく…
そんな恋愛は山ほどあるやろ
そんな自覚、要らんくない?
ツインレイ、て思いたければ
そう思えばいいと思うし
本当にそうでも
違っても
誰がわかんねん笑
縁があれば結ばれるし
なけりゃ離れるし
そんでよくね?
実在のツインレイの相手、ではなく
「ツインレイ」という「概念」や
「存在の有無」に
実は、人生振り回されているのは
ツインレイのことを伝授したい
人たちの方なんじゃないの?
なんつて笑
ツインレイがあるかないかも
その中身も現象も
人がどう考えどう感じ
何を取捨選択するか
その領域に
足を踏み入れるなら
その覚悟があるのか
ただの教えたがりなのか
自分でわからず…
だったりしないんだろうか?
優しい口調の裏で
これが正解だと
押し付けてないかい?
万人が根底で共有する
エネルギーや
この世の真理
それらを自覚するしない
感じる感じない
その違いの中で
この世に生まれてきたこと
生きるために生まれた
ということだけは共通するとしたら
わたしが
誰のツインレイだろうと
みんなが
誰かのツインレイだろうと
あまり重要ではない
もはや、無意味とすら思う…
天寿をまっとうして
運命に導かれて
一生懸命に生きた人でも
ツインレイに出逢えなかったぁ…
ツインレイってなに??
わからなかったぁ…
死にきれない…
て死に際に
もし思うことがあったら
ツインレイのこと
自分の主観の「事実」を
「真実」のように
知らせた人の罪は重いと思うぞ笑
人に知ってほしいことと
人に言いたい(伝えたい)ことは
案外
知らなくていいこと
言わなくていいこと
だったりする
とわたしは思ったり
思わなかったり笑