大和田獏さんが大和田伸也さんに伝えた言葉。
この言葉と母が亡くなった連絡をくれたときの妹の絞るような声で
「お母さんダメだったよ…」
この言葉がなんだか重なって胸が苦しくなる。
母が癌かもしれないとLINEで知らせてきた日から顔を見るまで心配で仕方なかった。
知らせが来て3日後母に内緒で岐阜から会いに行った。
落ち込んでてもう死んでしまうのではないかと会うまではドキドキしたが病室に入るとベッドの上に座り鞄の中を広げて整理していた。
顔も3か月前に会ったときより多少やつれていたが元気そうでホッとした。
その時はいつか来る別れを恐れながらも覚悟しなければと思い始めていた。
そしてその10ヶ月半後その時は来てしまった。
そうなることはわかっていたはずなのに母だけはいつまでも生きていてくれるのではないかなんて考えてて。
最後の入院の前日普通に電話で会話した。元気になって帰って来て孫のランドセル姿を見なきゃと二人で話した。
母もまさか亡くなるとは思ってなかったろう。
たくさんの服を持っていったようだ。
だけど入院したその日から母からの連絡は無くなった。
意識はあるが朦朧とし高熱が1週間続いた。
でも離れて暮らしてる私はまた家に帰って来てくれるだろうと思っていた。
近くで見てる妹達はもう別れを意識していたようだけれど。
そして妹から母が危ないかもと連絡をもらい職場に今から実家に帰ると連絡した直後
「お母さんダメだったよ」
妹のやっと言ってる絞るような声。
4年経った今でも母は庭いじりをし
「どくだみがこんなに生えました。早く帰って来て雑草を抜いてくださいね」
とLINEが来るのではと思ってしまうのだ。
母の70年の人生はとてつもなく大変で苦労の連続であった。
ずっと働きづめで後3ヶ月で仕事を辞めて岐阜に行ったり名古屋に行ったり好きなことするわと決めていたところに癌の宣告。
医師の前で流した悔し涙。最後まであの思いで亡くなってしまったのだろうか。
どうか最期は意識が無いながらも人生幸せだったと思っていてほしい。