東映会館開館記念作品で海洋活劇・東映京都「海賊八幡船」大川橋蔵/岡田英次・沢島忠監督。 | 東映バカの部屋

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東映制作作品を主体として書いていますが、たまに他の話題も…一人でも多くの東映ファンが生まれる事を望みます!

皆様、こんにちは。

 

 

休み二日目、朝から快晴です。

 

 

やはり、身体が「新しい勤務体系」にまだ馴染んでおらず「下手な夜更かしをすると睡眠時間を十分に取る事が出来ず、結果昨晩の様に21時頃に就寝し十時間以上も目が覚めぬ状態」に陥ってしまいました。

 

 

前より楽な勤務体系な筈なのですが「慣れと人間の身体の関係の奥深さと不思議さ」を痛感しています。

 

 

 

さて本日は、今月の東映ch「傑作時代劇スペシャル」の枠内で放映されている「昭和35年度・芸術祭参加作品」及び「東映会館(東京・銀座の東映本社社屋)開館記念作品」で、平成30年1月27日に91歳で天国に旅立たれた沢島忠監督が演出を手掛けられました。

 

 

 

「海賊八幡船(かいぞくばはんせん)」昭和35年9月18日公開・村上元三原作・鷹沢和善脚本・沢島忠監督・東映京都制作。

 

 

VHS化作品ですが未DVD化で、GYAO!ストア内に於いて有料動画配信が行われています。

 

 

又、東映ch内に於いて本日以降、5/19(土)15:00~17:00・5/28(月)13:00~15:00・5/31(木)11;00~13:00の三回放映されます(字幕付きHD放映)。

 

 

 

 

 

 

※KINENOTEの作品案内は此方から

 

 

※東映chの作品案内・放映日時案内は此方から

 

 

 

沢島監督が生前自著でお話をされていたのは「沢島監督自身の怪我の為に制作が一年間延期となった「生涯唯一の芸術祭参加作品」だが、中々上手く行かず自分の調子迄も壊してしまい失敗した」「撮影用の船舶を福岡県内の玄界灘沿いの海岸と滋賀県西近江の琵琶湖畔に建造し撮影。特に玄海灘での撮影は流れが激しい海域の為苦労した」「当時の東映に於いて「劇場公開作品の制作費の平均金額」が二千万円から三千万円だったのに対し、当作品は七千万円から八千万円となり、東映京都撮影所が確保していた「過大費用対策の資金」を全て使い果たした」「撮影中の事故(怪我人が多数出たものの幸い死者は有りませんでした)により沢島監督は京都地裁で有罪判決を下されたものの、大阪高裁に於ける控訴審で逆転無罪となり結審(これは「多忙な現場の責任を全て監督に負わせるのは如何なものか?しかも、現場の安全管理責任迄をも背負わせるのは酷ではないのか?」と云う疑問を内田吐夢監督が呈した事が東映と監督協会を動かし、この様な結果に至ったそうです)。しかし「その事故」の際、誰かが誤って「沢島監督の死亡情報」を流してしまった為に、九州在住の沢島監督のファンの方が「謹んで沢島監督のご冥福をお祈りします」と「弔電」を送って来た!私は殺されてしまった…」「事故の事後処理と警察の取り調べと撮影の同時進行…余りにも多忙となり過ぎた為に「公開延期」を申し出たものの「芸術祭参加」以上に「東映会館開館記念作品」であった事に加え、企画段階から主演に決定していた橋蔵御大が「開館記念作品に主演している事に俺は誇りを持っているから何としても期日に間に合わせて欲しい」と懇願して来た為、何とか間に合わせた」等々「苦労と突発的事態に追われっ放しの、非常に難儀した作品」なのだそうです。

 

 

しかも「日本で初めて、かつ唯一の海洋活劇だが、満足はしていないし失敗作。特に終盤は腰砕け」「この作品以降、ついていない事がよく起こる様になった」とも…

 

 

只、試写の際に「ヒロインの一人」を演じた丘さとみが「良く出来た作品です」と喜んで泣いてくれたそうです。

 

 

 

戦国乱世の時代、堺の港で船問屋の若旦那となっていた橋蔵御大が、育ての父親(大河内伝次郎)を殺し、妹(桜町弘子)を誘拐拉致した「偽八幡船」を追い、瀬戸内海の因島で八幡船(明国や朝鮮等々と海上で交易や通商を行う船舶)の船頭を務めていた岡田英次や仲間の丘さとみ等々と時には激しく対立しながらも協力し合い「偽八幡船の一掃と、弘子さんの救出の為」に戦いながら太平洋を南下して行きます。

 

 

しかし、琉球海域で「偽八幡船」と激しい交戦となった際に船舶に大きな損傷を受け、修繕の為の木材の調達を兼ねて休息の為に立ち寄った「無人」と思われていた島で仲間数人が殺され、橋蔵御大達も「現地人」に捕えられてしまうのですが「偽八幡船の一味に島を荒らされ、仲間を殺された現地人が、橋蔵御大達を「その一味」と思い込み拘束した事」が解ります。

 

 

言葉が通じぬ為に「運命も生命もこれ迄か?」と思われた寸前「偽八幡船の一味の一人」を捕らえた事により解放され、橋蔵御大達は現地人達と手を組んで「偽八幡船との最後の決斗」に臨む事になるのです。

 

 

果たして、弘子さんを無事救出し「海洋交易を荒らす悪の一味」を一掃出来るのか?

 

 

 

 

 

 

 

「海洋交戦の場面」では「東映に於いては初期段階」に当たる特撮技術も使われてはいるものの「撮影用の船舶を実際に建造した」と云うだけあり「更に進んだ特撮技法やコンピューターグラフィックスが主体となってしまった現代の映像作品に於ける交戦場面・洋上場面では味わう事の出来ない本物に近い凄味と迫力を体感出来るだけでも鑑賞価値が有る」と感じます。

 

 

 

そして「制作側の思い等々と観客側の感想は決して一致するものではない」とよく言われてはいますが、当作品もその例に洩れぬ「沢島監督自身が失敗作と言ってはいるものの、そんな事は全く無い面白い作品」です。

 

 

「現地人に土人を思わせる姿を施し、異国情緒と近代感をも思わせる」「明治維新以降の海洋交戦を或る程度取り入れたとも思われる洋上決戦」「沢島監督の船舶工兵経験を生かしたと思われる船上での日常」等々「娯楽性に富んだ場面」が多数見受けられ「時代劇の王道路線を或る程度取り入れてはいるものの、歴史上の概念に捉われぬ演出により、新たな方向性を提示した事」は特筆に値しますし、結末も沢島監督が申された「腰砕け」どころか「手に汗を握り緊めてしまう、東映の娯楽映画の三大要素の一つを全うしながら、それ迄の東映京都作品/東映時代劇作品には無かった新たな凄味と迫力を構築した」と思います。

 

 

考えてみると、同年に東映京都でお嬢を主演に制作された「ひばりの森の石松」の演出を務められた沢島監督は、当時流行していたボウリングそのものを模倣した大道具を登場させていますので、東映京都及び沢島監督にしてみたら「この種の発想は朝飯前だった」とも言えます。

 

 

 

 

 

 

 

「若気の至りから来る気性の荒さを保ちながらも、徐々に仲間を信頼し、打ち解け穏やかになって行く橋蔵御大の成長」「沢島組の特別優待生で沢島監督の親友でもあった岡田さんがまだ「アクション俳優」だった頃の「熟年期」では見られない活発な芝居」「この頃の渡辺美佐子に匹敵する様な色気を発揮し、弘子さん以上に女っぷりと色気を感じさせたさとみさん」「汐路章が既に「東映顔面凶器軍団の仲間入りを果たしていた事」を証明する怪演」等々も見所。

 

 

 

時代劇ファンや東映ファンも納得の内容ですが「観易い内容」「子供が喜びそうな海洋決戦の場面が在る」等々「老若男女が一緒の場でも、皆が其々の視点で存分に楽しむ事が出来る万人向け作品の王道の一つ」とも言えますし、もし「東映会館開館記念だからこそ、この様な意図で企画・制作を進めていたのが事実」ならば「一人でも多くの観客に満足して貰おうとした東映の観客目線第一の姿勢が顕著に表れている、極めて優れた作品を送り出していた」となります。

 

 

そして当作の後に東映東京撮影所で鶴田のおやっさんが主演された「人生劇場・飛車角」の演出を手掛けられ「東映仁侠路線の口火を切った」沢島監督は「新路線開拓の名人」ですし「その姿勢を一生持ち続けて居られた事」が「監督作品から読み取る事の出来る主張や演出技法と、自著に於ける回想」から解ります。

 

 

 

 

 

 

 

加えて、当作の大凡7.8年後から本格化した「テレビドラマに於ける東映特撮作品」には「時代劇作品」も有れば「東映劇場公開作品の世界観を踏襲した作品」も多々存在しますが「特定の時代感・世界観に捕らわれない、子供目線や視聴者目線に寄り添った、明朗活発で伸び伸びとした作品が多く生まれた切っ掛けの一つ」は、あくまでも俺の憶測に過ぎませんが「海賊八幡船を始めとする、沢島監督演出の時代劇作品群が口火を切ったから」なのかもしれません。

 

 

 

他の出演者は、田中春男・楠本健二・入江千恵子・北龍二・東龍子・進藤英太郎等々です。