おめでとう 原巨人!


というわけで全国各地のスーパーや百貨店などでジャイアンツ優勝セールが始まっている。


■巨人優勝セール、ヨーカドーなどにぎわう(読売新聞)


■日本一記念セール・記念イベント、全国各地で開催(読売巨人軍公式ホームページ)


さてこの優勝セールなるものだが、開催するためには株式会社読売巨人軍に対しなんらかの版権使用料等を支払った上で実施しているのだと思う。


当然、版権使用料はコストとなるわけだが、それを上回る販促効果によって売上・利益のアップが見込まれる、というのが企業側の理屈なのだと思う。


で、それに対しこれらの企業(商店?)はどうなのだろうか?


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これらのお店は、勝手な推測ながら、株式会社読売巨人軍に対して使用料を支払っているとは思えない。


ただ、それぞれの店舗は零細経営だし、数も多いことからいちいち目くじらを立てるのも面倒くさい。

一つ一つに文句を言うのも費用対効果には合わない。


また、町の商店などで巨人ファンの商店主が勝手に「ジャイアンツ優勝セール!」と銘打って販促しているところなど星の数ほどあるだろうから、それらと比較してどうなの、という意見もあるだろう。


しかし、これらの商店が一つの塊、すなわち『楽天市場』や『Yahooショッピング』となって今や百貨店やスーパーを脅かす存在になっている。


■楽天市場トップページ(トップページには巨人軍の優勝セールの文字は見当たらない・・・・・・)


調べたわけではないが(当然調べられるはずもないが)、楽天やYahooを含めたネットショップ全体で「優勝セール」を展開しているショップはそれこそ星の数ほどあるに違いない。


攻められる一方の既存小売業界は、ここでもばか正直に使用料を支払って後手を踏んでいるような気がする。


それとも優勝セールはお祭りだから野暮なことは言わない、ということなら、それはそれでジャイアンツファンとしては嬉しいのだが。

ある一定周期で家に本があふれ出し、置き場がなくなって処分をする必要に駆られます。

思い立って本棚を整理すると、だいたい手提げの紙袋2つ分くらいの分量があぶれてしまいます。


以前は古本屋に売りに行っていたのですが、数年前から地元の図書館に寄贈することにしていました。


思い入れというほどではありませんが、良きにつけ悪しきにつけそれぞれの本にそれなりの思いを持って手放します。

にもかかわらず、古本屋であまりにも安く買い叩かれるのが自分の選んだ本を否定されているような気がして嫌になってしまった、というのがそもそものきっかけでした。


図書館に寄贈しようと思ったのは、

・多少なりとも社会貢献しているという優越感に浸れること

・もう一度読みたいと思ったときには借りて読めること

などのメリットがあると考えたからでした。


そう思ってこれまで二度ほど寄贈をしました。


以前に住んでいた場所で一度、そして引っ越してから現在の住まい近くで一度。


ところが実際には自分の考えとは裏腹に図書館に持って行っても歓迎されません。

むしろ面倒くさいのが来たという扱いです。


確かに貸出返却の人が並んでいる受付カウンターで、しかも忙しそうに働いている職員さんに声をかけて渡すわけなので、てんやわんやといった感じもやむをえないところです。


前回などは、あからさまに嫌な顔をされ、贈書の受付は裏の事務所で行うことになるらしく、「誰かカウンターお願い!」と大きな声で代わりの人を呼んで裏に連れて行かれました。


せっかく良いことをしようとやってきたのに、迷惑者扱いです。

これには本当に参りました。


しかも実際に寄贈してみて分かったのは、持ち込んだ本は図書館に開架されるのではなく、図書館主催の「古本市」のようなものが定期的に開かれていて、そこで処分されるということでした。


これでは読みたくなったときにもう一度借りるという第二の目的も果たせません。


もちろん古本市の売却代金として公庫に多少の貢献はできるのでしょうが、微々たるものです。

にもかかわらず、受付で迷惑者扱いされるのではたまったものではない。

それが前回の感想でありました。



というわけで、先週末にまた本を整理したのですが、今回はブックオフに持ち込みをしてきました。


結果は・・・、


驚くほど安く、(昔の買い取り率よりも安くなってしまったような)、見事に買い叩かれてしまいました。


まあ捨てるよりはましでしょうから、止むを得ないと納得して帰りました。



ですが、後日ネットオークションで本を買おうと探していて、自分が重要なことをすっかり忘れていたことに気づきました。




自分もオークションで売ればよかったんだ・・・


と。



仕事関係の専門書など対象が決まっていて本を探すときには、アマゾンも見ますがなにぶん高価な本が多いので、オークションでも探すというのは、これまでも当たり前にやっていることでした。


なのに逆に自分が出品するというのが、全く思いつかないとは(!)


情けないほどのあまりの頭の堅さにほとほと嫌になってしまいました・・・



ちなみに今回、ブックオフに持ち込んだ本の中に井沢元彦さんの「逆説の日本史」シリーズの全巻(ハードカバー版)セットがありました。


オークションでの出品傾向を見ると、そいうシリーズものはプレミアムがついてちょっと高く売れるようです。


ブックオフではもちろんシリーズ物などという概念は存在しません。

しかも第1巻などは相当古いですから、逆に安くなってしまってました。


でもオークションでは、自分の好きな本のセットを同じ嗜好の方がきちんと「セット」として評価してくれる。


それがなんかとても嬉しく感じました。


実際には応札が入っていないものも多くありましたが、それは需給関係ですのでやむを得ません。


ですが、単なる「モノ」として本が評価されるのではなく、本の内容や人気を加味して自分が過去に選んだ本が評価されるというマーケットがそこに出来ていることに改めて新鮮な思いを感じました。


今までは安く買ってやろうという思いだけでオークションを見ていましたが、売り手の側に立つと、また違った景色があるのだということに恥ずかしながらはじめて気づきました。


次回からは、古本はオークションで売ろうと思っています。


安くなっても構わないと思います。


自分の本を、「読みたい」と思ってくれる人に直接届けられることにこそ、きっと価値があるような気がしています。


首相の所信表明演説 についての感想を書く前に、敢えて昨日は閣僚の資産公開に関する話題を書きました。

それは所信表明に表れた首相の政治信条と、その資産を背景とした経済感覚や仕事観との間に関連性があるような気がしたからでした。


昨日も指摘しましたが 、閣僚の資産公開制度の不備とそれを調査追求しうる立場であるマスコミの怠慢により、閣僚の資産額の正確なところは分かりません。

ただおそらくはざっと見ただけでも鳩山総理の総資産額は発表された14億円程度の話ではなく、数十億~百億円超にはなるように思われます。


鳩山首相は、スタンフォードを卒業後、東大助手、専修大学助教授という学者・教員生活を経て政治家に転身しています。

このうち大学に勤務した期間は、一般社会で「働いた」経験とも言えるかと思いますが、果たして鳩山さんにとってこのときの「働く」意味は何だったのでしょうか。


鳩山さんのみならず、一般的に大学での学究生活に入る人達は金銭目的というよりは、自分の研究成果の達成などを目標にしている方々が多いように思われます。(私の大学には銭ゲバのような教授もいましたが、まあそれは例外として)


ただ、そうした方々も一方では生計を立てる家長としての役割という側面を持っていることには違いがありません。


しかしながら、鳩山家にとっては「生計を立てるための教員生活」という側面があったのでしょうか。


ゼロとはいいませんが、鳩山さんの資産背景を考えると、生計を立てるために働くという意識は限りなく低かったのではないでしょうか。


自分が稼ぐ毎月の給与とは比べものにならないほどの資産を持ち、それによる生活は既に成り立っている状態です。

そうした状態では、「働くこと」、そしてその結果として「収入を得る」ということに対する当たり前の感覚が養われることはなかったのではないかと思われます。


そこにはお金というものが、何もしなくても常に「ある」のが普通という感覚が芽生えることがあっても、お金が無くなる状態を想像し、そしてそこに陥ることから脱するために「働く」という感覚は生まれるとはとても思えません。



私はもちろんそのこと自体を批判するつもりはありません。


親から子へと資産が相続されるのは当然の権利だと思いますし、そのことをいたずらに規制する社会の方がむしろ不健全な社会であると考えています。


しかし、お金があるのが当たり前という経済感覚が国政に持ち込まれ、国家運営に反映されてしまうとなれば話は別です。


所信表明を聞いて、私が一番違和感を感じたのは、そこの部分でした。


国家運営のための資金が何もしないでただ湧いてきたものかのごとく、そして次の年もまた次の年も当たり前のように同じくらいの金額が入ってくるという感覚、つまりお金はただなんとなく「ある」のだという感覚がベースにあるような気がしてなりませんでした。


しかし当然ながら、実際には民間企業や個人が努力をして働いた結果としての所得から納税をしているのです。


税収は当たり前に「ある」わけではないのです。



 ≪平成20年度の租税および印紙収入~財務省ホームページ~>≫



今回の所信表明演説では、そうした納税者、日々の経済活動によって国を支えていている企業や個人に対する尊敬や畏敬の念が一切感じられませんでした。


あたかも自分のポケットから財布を出して支払をするかのような感覚で、「あれをやりましょう」、「これをやりましょう」と言っているかのような印象しか受けることができませんでした。


別に演説で納税者を褒め称えろと言いたいわけではありません。

しかし、意識の根底にでも納税者を認め、尊敬する気持ちが少しでもあったならば、もっと違った印象を与える演説になっていたのではないかと思います。


もし私がグローバル企業の経営者であったならば、あの演説を聞いて軸足を海外へ移したいと考えたと思います。


あるいは個人であっても海外に移住したいと考えた人が多くいたのではないでしょうか。


新聞等では、「経済の成長戦略が曖昧であった」、「財源が曖昧であった」等の論評がなされています。


しかし、成長戦略以前の問題として、働く人を尊敬しない国、努力して成功した人を称えようとしない国、そうした国であれば、遅かれ早かれ沈没してしまうことでしょう。


働いて収入を得ること、そしてそのお金を国の為に納税するということ、それがどれほど大変で、また尊敬すべき行為なのか、それを理解する感覚が欠落している人物にこの国を任せたくはない・・・


そういう印象を受けた所信表明演説でした。