昨年、11月に実家の母が亡くなりました。
突然のことだったので、ショックから立ち直れず、暫くブログを放置していました。

国で難病・特定疾患に指定されているアミロイドーシスという病気。

ありとあらゆる検査をしましたが、なかなか病名がわからず、腎生検をして、ようやくアミロイドーシスと判明しました。

判明した時は、もう余命一週間。

医師からは、患者さまに余命宣告されますか?と聞かれましたが、あまりの残酷な結果に、母には伝えられませんでした。
母には「少し入院期間が長くなるかもしれないけど、投薬治療で治るって」と伝えるにとどまりました。

余命一週間。
それならば…と医師には、余命が多少短くなっても、母が痛がったり、苦しんだりしないようにしてください。とお願いしました。

母は最期まで、意識がハッキリしており、話もできておりました。

私は、病院の個室で、「お母さんの病状が落ち着くまで一緒に寝泊まりしようね」と母に伝え、夜は一緒に手を繋いで寝ました。

最期の2日間は、母は食欲もなくなり、ほとんど食べ物を口にしませんでしたが、「早く良くなるように食べなきゃね」と懸命に食事を摂ろうとしていました。
そんな母の姿を見ると、涙を堪えるのが精一杯でした。

最期の1日は、母が腰の痛みを訴えはじめ、私は、前に医師に頼んだように、痛み軽減の為に、痛み止めの点滴をしてもらいました。
母には、「治療が始まったから痛いんだよ。あと少し頑張ろうね」と伝えながら…。

腰の痛みは、肝臓が機能しておらず、毒素が溜まって…とのことでした。

夜中、また母が腰の痛みを訴えだし、私はその姿を見ていられなくなり、看護師さんに痛み止めの点滴をお願いしました。

病院としては、強い痛み止めなので、あまり使いたくはないようでしたが、母も痛み止めを希望した為、投与しました。

そして、それから約30分後、母の心拍が停止しました。

2014年11月13日、午前2時15分 永眠。

11月13日は、奇しくも母の誕生日でした。
誕生日を待つように、母は亡くなりました。


通夜・告別式では、私はあまり泣きませんでした。
泣いたら、母が悲しむと思ったから。

でも、思い切り泣いたほうがいいのかもしれませんね、今でも立ち直れない自分がいます。

そして、私の心に今でも引っかかっていること… 母には「治るよ‼︎頑張ろうね」といつも声をかけつつ、医師には、寿命が短くなってもいいから、苦しまず、痛がらずに死なせてやってほしいとお願いしていたこと。

母を、無駄に頑張らせてしまったかもしれないなという想いです。

お母さん、ごめんね。
結婚していながら、孫の顔を見せることができず、ごめんね。
母に対する謝罪は尽きません。

2年前に、父が亡くなった後、母と一緒に住むために購入した二世帯住宅。
一度も一緒に住むことができませんでした。
今、この二世帯住宅に住んでいると虚しい気分になります。

私が生まれてから、一度も大きな病気もせず、入院もしたことがなかった母。
これからも、ずっと一緒にいられると思っていました。

もっと母と一緒に旅行したかった。
まだまだ沢山教えてもらいたいことが、いっぱいあった…。
二世帯に一緒に住んだら、あの店に行こう、毎朝公園に行こう、近所のイオンに毎日行こう…と色々思っていました。

もう何も一緒にできない。本当に悲しいです。

母の為にも、前向きに生きていかなければ‼︎と思っていますが、まだまだ立ち直れず、気を紛らせるために、人と出歩いたり、呑みに行ったり…と現実逃避の毎日を過ごしています。

でも、そろそろ元気にならないと‼︎
現実に目を背けず、母の残してくれた自分を大切にしないと。と思っております。

また、少しずつブログを再開できたら…と思っております。