私には二人の子供がいます。
社会人の娘と大学生の息子は年齢が6歳離れています。
何故そんなに年が離れているかと言うと、私が流産を繰り返したからです
妊娠1回目⇒妊娠初期に流産(1回目)。
妊娠2回目⇒切迫流産を乗り越えて娘誕生
妊娠3回目⇒妊娠5か月で流産(死産)(2回目)。役所に死産届提出。
妊娠4回目⇒妊娠初期に流産(3回目)。
妊娠5回目⇒妊娠初期に流産(4回目)。
妊娠6回目⇒息子誕生
4回目の流産の後、当時通院していた産婦人科医からの紹介で都心の大きな病院に通いました
そこで私のカルテには「習慣性流産」のハンコが押され、流産の原因が徹底的に調べられました。
私だけでなく、ダンナさん側の要因も調べられました。
その結果、私の流産の原因は私とダンナさんの組織適合型が近すぎるのが原因と判明しました。
夫婦の組織適合型が違う場合、母体と胎児の組織適合型も大きく異なります。
すると、妊婦の免疫系が胎児を異物と認識し、胎児を免疫的に攻撃しようとします
攻撃を受けると胎児が死んでしまうため、胎児を守る強固な免疫システムが胎盤にでき、母体による免疫攻撃から胎児を守ります
夫婦の組織適合型が近い場合、母体と胎児の組織適合型がとても近くなります。
そうなると母体からの免疫攻撃が弱く、胎児を守る免疫システムが発達しません。
しかし、母体と胎児の組織適合型が全く同じでない限り、母体が胎児に対して徐々に免疫攻撃を仕掛けます
その結果、胎児が徐々に弱り、死亡してしまうと考えられています。
私の免疫系にダンナさんの免疫型を強く認識させるため、ダンナさんのリンパ球をワクチンのように私に接種するリンパ球輸血という治療を受けました
リンパ球輸血を受けてから半年ほどして妊娠しました。
妊娠初期に出血もなく、順調に発育していきました。
妊娠6か月に入ったところで、がん闘病中だった私の父が光の世界に還って行きました
葬儀や役所への手続きなどで忙しく、また精神的に大きなダメージを受ける出来事も重なり、また流産してしまうのではないかと不安になりましたが、なんとか乗り越えることができました。
しかし、妊娠7か月のとき私が水ぼうそうにかかってしまいました
全身に発疹ができ、痒くてかゆくてたまりませんでした
妊娠中のため強い薬は飲めませんから、塗り薬だけで耐えました
お医者さまからは妊娠7か月で水ぼうそうになった症例は知らないから、胎児への影響は予測できないと言われました
もしかしたら、何らかの障害のある子が生まれるかもしれないと思いました。
もし、どんな子が生まれても、愛して育てようと腹をくくりました。
生まれてみたら、元気な男の子でした
<赤ちゃんの頃>
3歳と5歳のとき急性腸炎で入院しましたが、それ以外は大きな病気もなく、すくすくと成長しました。
小学生までサッカーをやり、中学から陸上を始め、高校生のときは陸上の都大会で3位に入りました
一浪しましたが、憧れの国立大学に入学でき、今は一人暮らしをしています。
大学でも陸上部に入り、頑張っています
どんな子が生まれるかと心配した息子は20歳になり、明日は成人式です
成人式、おめでとう
<小学生の頃>
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