みなみの思い出 | しちふくのひとやすみ

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獣医師&獣医鍼灸師&レイキヒーラーである
しちふくの感じたいろんなこと

みなみです。





今から12年前の2003年7月3日、朝起きると、どこからか子猫の声が聞こえました。


外に出ると玄関わきの段ボール箱の中に目も開いていない子猫が1匹いました。





どうやって我が家の前に来たのか、全くわかりません。


我が家は通りから奥まっていて、車と塀の間の狭いところをすり抜け、砂利道を歩き、キーキー音のする門を開けないと玄関にたどり着きません。


人間が子猫を置いて行ったとは考えにくいです。


お母さん猫が引っ越しのために子猫を一匹ずつくわえて運ぶ途中で一時的に我が家の前において行ったのかもしれません。


でも、みなみと同じ年頃の猫を近所で見たことはありません。


何もないところから湧いてきたのではないかと思ってしまうくらいです。


200373日だったので、「373」から「みなみ」と名付けました。


目も開いていない子だったので、ミルクを飲ませて育てました。


当時小学1年生だった息子が一生懸命手伝ってくれました。




ミルクの後は離乳食です。


始めは自分でお皿から食べることができなかったので、スプーンに離乳食を載せて口元に持って行って食べさせました。


これも息子が手伝ってくれました。




当時中学生だった娘も手伝ってくれました。





成長具合がわかるように、目薬の容器と一緒に写真を撮って記録しました。


≪2003年7月4日≫





≪2003年8月7日≫





≪2003年8月25日≫




最初の頃、みなみの身体は目薬の容器3個分くらいの大きさでした。


それがどんどん成長していきました。



つい先日、いつものように私の傍で寝ているみなみを見て、久しぶりに目薬の容器と一緒に写真を撮ってみようと急に思いつきました。


≪2015年8月16日≫



今年の8月16日、みなみは目薬の容器とは比べ物にならないくらい大きくなっていました。


そして、この写真を撮った翌日、みなみは倒れました。


どうして急に目薬の容器と比較するみなみの写真を撮ろうと思ったのか、自分でもわかりません。


「虫の知らせ」だったのかもしれません。



最後の数日、みなみが自宅で酸素室に入って過ごしているとき、「吹き出し口から出てくる酸素の風が強すぎて可哀そうだ」と言って息子が酸素の吹き出し口にティッシュペーパーを貼って風量を弱くしていました。


みなみは大好きなお兄ちゃんが自分のために何かしてくれるのを嬉しそうに見ていました。




みなみは私の宝物でした。


これまでもいろんな犬猫と暮らしたし、今も犬も猫もいますが、みなみは何だか特別な猫でした。


みなみを見ていると愛おしくて、毎日毎日「みなみ大好きだよ。 みなみはお母ちゃんの宝物だよ♡」といって撫でていました。


そうすると、みなみは嬉しそうに喉をごろごろ鳴らしていました。


今、みなみは光になり、肉体の苦しみから解放されました。


息子を優しい人間に育ててくれた崇高な魂でした。


みなみ、ありがとうラブラブ


みなみ、愛してるよラブラブ


みなみはお母ちゃんの大切な宝物だよラブラブ




みなみを応援してくれた皆さん、本当にありがとうございました。



コメント欄は開けておきますが、ブログを書くのが精一杯で、コメントをいただいてもお返事できないと思います。

ごめんなさい<m(__)m>