富士山専門写真家 ロッキー田中先生 のお話 | ねこ(甘えるテクニックのたくち)のブログ「甘えるダイアリー」

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甘えるテクニックの たくち です
今回も活動の中から
1つ お話しますよ
富士山専門写真家
ロッキー田中さん のお話
2019年1月9日
仙台三越 アートギャラリーで
とある写真家と お会いしました
ロッキー田中先生



富士山 の写真 
これはもう絶景でしたね

ロッキー田中先生は 写真家
1946年9月6日 福井生まれ
福井商業高等学校 卒業後
薬品会社勤務を経て 
富士ゼロックスに転職
ゼロックスでは コピー機のセールスマン
31歳で 成績トップ 
ただ管理職になり 仕事に違和感があり
49歳で 退社 
あらゆる魅力がある
富士山の様な人物になろう
それを一言で表現できないか
ある時 夢に老人が出てきて 
笑いながら 白ヒゲをなでる
「おー わしも見とらん景色を
よう撮っとるなあ」
朝 目が覚め ときめき という言葉が
頭の中に残り この言葉を探していたと確信
世に出す ときめきの富士は 
99作と決め 辞表 提出
富士山専門の写真家になる 
という目標を立て 都内に住みながら
富士山に通い 
ゼロックス社員食堂での展示販売会や
かつての顧客などへ 売り込み
独立にあたり 3つの信条を
自らの生き方の基本にする
富士山の写真家では ただ1人の
ときめきの富士の写真家になる
山麓で待つのではなく
富士山がよんでくれたら 逢いに行こう
生涯に世に出す ときめきの富士は99作
あと1作は 永久に未完成
ときめきの富士は 富士山を
大きく克明に描写ではない
一部分をアップで切り取る望遠より
視界全てを受け入れる広角の視野が重要
その根底には 歌川広重 葛飾北斎が
浮世絵に描いた 富士山がある
幅広い洪水の中に 
前景 中景 遠景 要の場所に 
富士山があって 優しく見守る
それを 写真で表現したいと考え
未だ見ぬ富士山の究極の美の姿
99景心の中に描く
そのシーンにいつ何処で逢えるか 研究
富士山を撮る人は大勢いるが
ほとんどが 趣味 
カメラも発達し 誰でも思い思いに撮れる
ただ 富士山の写真だけで生きている人は
極めて少ない 時々テレビに出る人も
雑誌に載る人も 
作品が売れているわけではなく
他に職を持つ セミプロ
ロッキー先生は 今までの人が トライした
やり方を全て捨て
誰もやらないアプローチで
ときめきの富士を世に出すことに決める
シーンの方からやってくるという確信
麓に住まず都内にいて 富士山が呼んだら
逢いに行く 常識の逆のアプローチに徹する
1枚のシーンの情報は
現地にいなくても わかるはず
そうなれるまで 富士山の全方位で
時と場所を変えて シーンの出る自然条件を
自らの足で確かめ 細胞に刻んできた
その蓄積 想像力で 都内で独自の
気象分析が可能になり 離れていても
山が見えるか どんな雲が湧いているかなど
想像できる様になる
景色は存在していても 待ってくれない
情景は その目を持つ者の前にのみ現れる
大切なのは シーンの前に立つ
直感と行動が一致すれば シーンから来る
山麓に住まないから逢いに行き
ときめきが 生まれる
離れているから 360度 想像できる
天気の変わり目 冷え込む朝
明日 あの場所 あの時間 と
インスピレーションが湧くことがあり
それが 富士山が呼んでくれる時
この季節で この天気で 
何処から何時ごろ 富士山を見れば
最劇的になるか予測し
シーン発生1時間前にピンポイントで
その場に 立つようにする
そんな ときめきの富士は現代の浮世絵
富士山と一緒に在る景色 
究極の美しさで描写
そんな ロッキー先生の作品は
2003年 文部科学大臣賞
アテネ市文化機構より 世界芸術大賞
2005年から NPO 
富士山を世界遺産にする
国民会議フェロー として
世界遺産登録に貢献

いかにも 三越でお会いした
ロッキー田中先生
先生が撮影された 富士山の写真は
とにかく最高です!
是非とも 99作品 目指して 
頑張って欲しいですね
ロッキー田中先生も ファイト!