みなさま こんにちは
長い間、ご無沙汰していました。
今日は、京都にある私の生家の町家、いや、ボロ家、いやぁ、お化け屋敷に、
突然、ドイツ人の建築の先生方、お2人と、
このブログで親しい、京都にお住まいのマ○○○さんが、いらして下さり、
その後、、、、どんな展開があったかについて、書こうと思います。
それから、少しだけ、今週の土曜日のコンサートの宣伝を。。。
v(^▽^)v
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
実は、ドイツ人の先生たちに、言われた内容は、ショックだったのです。
結果から先に言うと、私は、その言われたことが、とても嫌だった。。。
でも、そのお蔭で、私は、
自分の心の底から望むこと=どうしてもしたいこと
が、ビビビッと来て、はっきりと分かったので、
とても良かったのです。
そこで、後になって、先生たちがドイツにお帰りになってから、
その旨を、先生たちに、メールで書いて報告したら、
先生たちは、とても喜んで応援してくれました。
さて、
先生たちは、このように言ったのでした。
・この家は、もともとは、2軒分です。(今は、中を繋げて一軒になっています。)
・2軒に、もう一度、戻しましょう。
・そして、1軒を人に貸します。
・2軒分の大きな庭は、全部、借りる人に、世話を任せます。(木の世話を好きなようにしてもらう。)
・残りの1軒の内、1部屋だけを、私や妹、私の身内の者が京都に来た時に泊まれるような部屋にして、
後のいくつかの部屋は、亡き祖父母や親族の、ものすごく多い遺留品の物置にしましょう。
・根本から大きく直すような工事をしましょう。
・昔の襖などの建具や板は、工事中保管しておき、工事後、また使いましょう。
・間取りも大きく変えましょう。(つまり、土間を床張りに変えた所を、また、わざと気取って昔風の土間に戻すなど)
・外観は、変えません。(景観保存のため)
その結果、
私は、京都に来たとき、
・あー、あれもこれもしなきゃいけないという、家の世話の負担がなくなる。
(庭は、いつも、勝手に綺麗になっている。)
・根本から修理すれば、
あー、こっちが壊れてきた、せっかく直したのに、今度は、あっちが壊れてきた、
という心配がなくなる。いつも安心。
・1人で泊まるには、1部屋あれば十分だ。物置の部屋の数を増やせば、遺留品を処分せず、残しておける。
・私は、京都に、気分を変えに、ただ遊びに来れる。ストレスフリーな別荘となる。
「 せっかく、京都の家に来たとき、家のことで、やることがいっぱいありすぎたら、もう大変で、来なくなるものなのよ。」
「町家を改善した新しい家は、、京都を歩けば、いっぱい例があるじゃない。」
「それに、町家保存の名目で工事の費用の一部支援金を申請しても、
出なかった時には、自分で支払わなければならないのよ。
家を一軒貸せば、工事の費用は、後で戻ってくるじゃない。」
と、先生たちは言いました。
先生たちは、確かに、私の今後のことを、よーく考えて、
そういう風に、アドバイスして下さったのだ。
しかし、
私は、その案というか、考え方に、とてつもない嫌悪感を抱いた。
私は、子供のころ、祖父母に、大変、可愛がってもらって、
「 おばあちゃまー、おじいちゃまー」と、
無我夢中で呼んで遊んだ家が、懐かしいから、
このぼろ家が、
どんなに古びて壊れて、お化け屋敷になっても、
いつまでたっても、泊まりに来るのだ。
その昔の面影が、ほとんど消えてしまったら、
いくら、綺麗な家になっても、もう私は、この家には来ない。
京都に来たい時には、ホテルに泊まるだろう。
その方が、家を持っているよりも簡単だ。
いや、もう、京都に来ない。。。。。
横浜だって、十分にいい。。。。
それから、
町家というのは、日本の古い時代の建物だから、
町家は、古いのが、当然な筈なのです。
今、この時代に、昔のタイプの建物を、もう一回、新しく建てるのは、
とても笑えて来ます。
今、建てるなら、もっと現代的な最先端の建物を、建てた方が賢明です。
というわけで、私は、家を古いまま維持することを大前提に掲げることにしたのでした。
古いものに、できるだけ触らないようにして、
古いものを尊敬し、そのまま残す方法にします。
でも、家が使えなかったら、意味がないので、
やむを得ない場合には、上に付け足す方法で補強して、
素材そのものを取り替えるのは、最小限にとどめる。
そして、将来の夢は、。。。。。
もし、そこまで、たどり着くなら~~~~
一階の部屋の内、車庫を含めた3部屋を、半オープンなスペースにして、
車庫を、車がないときは、制作アトリエやギャラリーに使ったりし、
その隣の2部屋を、交流会スペース、(グランドピアノを置いて、芸術サロンスペースなど)にします。
2階に、留学生を二人、(希望者がいれば)、泊める。
昭和25年の建築基準法以前に、土台部分が建てられた京都の古民家は、
”町家”の枠に入り、
町家を、もし、交流会スペースや、芸術家の活動拠点、留学生を泊めたりすることなどに使用する場合には、
町家を保存するための改修工事の支援金を、いろいろなところに、申請出来るようです。
今後、大掛かりな改修工事が必要な時には、私も、ダメもとで、申請してみようと思います。
で、決意は固まり、
大好きな、川沿いの道を歩いて、祖父母のお墓に参り、報告し、
(ちょうど、彼岸花が、たくさん咲いていました。)
近くにある、美しい昔の蔵も、来年、壊されるという話を聞いて、
あまりにも残念で、
寂しくて、
やっぱり、私は、あの家を維持する!と、気持ちを強くし、
降って湧いた来客達との1日が、楽しかっただけでなく、良い結果を導いたことに感謝して、
最後、じゃー、横浜の家に帰ろうと、まさに京都の家を出ようとした時に、
前の日の夜、雨が降ったため、
雨漏りを発見したのでした。
写真は、3月の時に撮ったものなので、まだ、大丈夫なようですが、
天井板が、ベロンとぶらさがり、
真ん中の大きなランプシェードに天井の水が流れ集まって、バケツみたいになっていた。
その時は、しょうがなくて、帰りの高速バスに飛び乗りましたが、
横浜に帰ってから、一生懸命に、町家専門の大工さんを探し、
台風が怖いので、屋根に、応急処置のシートをかけてもらうため、
また、京都に、すぐ行ったのでした。
今は、ちゃんと直すためのお見積もり待ちです。
2週間も経たないうちに、また、川沿いを歩いて、お墓に行くと、
少し、秋が深まっていました。
お見積もりと工事の内容に、納得が出来れば、
(そこまで、こぎつけなければね、、^0^)
11月にまた、京都に行って、今度は、長く滞在し、
壊れた屋根については、ひとまず、ちゃんと直すつもりです。
私の人生、今まで、京都に1人で行くことはなかったので、
(いつも、祖父母が待っているか、母や妹と一緒でした)
私と、京都の家との1対1の人生、、が、始まったところです。
お墓に行く川沿いの道が、私にとって、哲学の道になりそうです。
さて、◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
今週の土曜日、10月25日に、私の大好きな、ザ・リハーサルコンサートがあり、
また、出演させていただきます。
今度弾く曲は、
ショパンの、ノクターンOp.48 No.1 C minor
ショパンの、ワルツOp.42 No.5 A Flat major
名曲中の名曲。
いつも、人前で弾く、一週間前には、何を考えているかなあ、、、
と思い返してみると
暗譜の確認と、
曲を通して1番伝えたいことは何か、
を、大体、考えているような気がします。
この位、有名で、良く弾かれる曲になると、もう、上には上がいて、
上手い演奏を目指して競っても、意味がないどころか、
何を持って、上手いとするかも、全然、分からない。
だから、楽譜も、音楽も、何もっかもを忘れて、
自分を拘束する基準をなくし、
今回も、曲に合わせて物語を作ったので、
それを心から朗読するようなつもりで、弾こうと思っています。
お客さんの心をつかめるかな。。。。
ヘ(゚∀゚*)ノ