古事記1300年 臣安万侶言さく・・・ 太安万侶の墓を訪ねる | 日本史をつまみ食いして旅する(旅人は721列車)

日本史をつまみ食いして旅する(旅人は721列車)

中央公論の「日本の歴史」を読んで、歴史が起こった現場に行ってみたいと思い、実際にその場所に行ってみた記録です。本当は通史で行くべきでしょうけど、いろんな都合で時代はバラバラです。

中央公論の「日本の歴史1神話から歴史へ」には、古事記の成立について書かれているが、それによると、天武天皇が稗田阿礼に「帝皇日継(すめらみことのひつぎ)」と「先代旧辞(さきつよのふること)」を暗記させたことから始まっている。





月日がたって、元明天皇の時代になった時に、太安万侶に命じて、稗田阿礼の暗唱したことを文章にした。


時に712年。


平城京に遷都して2年目のことであった。





長らく、太安万侶は実在していたのかどうか謎であったが、奈良の山中の茶畑で太安万侶の墓が発見されたのだ。


日本で最初の歴史書を書いた人物が実在していたのは、その本の内容に信憑性が高まってくるようだが、実は天武天皇が壬申の乱の後、自分が正当な天皇であるということを証明するために書いたのだといわれていて、私もその説に与しているのだけど、そんな政治的だと思われる事情は抜きにして、ここはひとつ、太安万侶に敬意を表して墓参りも兼ねて行ってみることにしようと思った。





ところが、公共交通機関で行ってみようにも、奈良市内でありながら、バスの便が少なくて、どうやって行こうかと、結構悩んだ。


結局、近鉄奈良駅を10時25分に発車する奈良交通の北野行きに乗るよりほかに、満足する案はなかった。





2012年の9月1日に、近鉄奈良駅のバス停にやってきた。


時刻は10時10分。





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バス停で案内をしていた係員さんに、「日笠に行くバスの乗り場は?」と言いかけたら、「道路の向こうの4番乗り場!」とだけ言った。




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そこで待っていたら、大勢の人がやってきた。数えたら50人もいた。


みなさん、同じバスの客かなと思っていたら、ほかの行先に行く人ばかりで、私と同じ10時25分発の北野行きのバスに乗ったのは5人だった。







それも奈良市街で、ほかのバスとコースが重なっている部分で降りた人が多く、市街地を抜けて山の中にバスが分け入った時、私ともう一人と、バスの運転士さんだけになった。


途中で時間調整しながら走るバスは、時刻表通りの10時58分に日笠のバス停に着いた。


降りたのは私だけだった。





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太安万侶に会いに行かなかったら、こんなところに降り立つことはなかっただろう。





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ところで、太安万侶は奈良時代の人物で、古事記が完成したのも奈良時代だから、この話は奈良時代のカテゴリーに入れるべきなのだけど、古事記という偉大な歴史書に太安万侶を包括したいので、神話時代に入れた。





日笠のバス停から、太安万侶の墓までは歩いておおよそ20分くらいと思われる。


途中、草刈りをしていた夫婦に、「こんにちは」と声をかけて、「太安万侶の墓はこっちですよね?」と聞いたら二人とも笑顔で「歩いて10分くらい」と教えてくれた。





道すがら、いろんな史跡があるのだけど、そういうのは全く無視してひたすら太安万侶の墓を目指したが、暑い。


持ってきたペットボトルのお茶を飲みながら歩いていたが、人とすれ違わなかった。その代り、大小いろんな蛇と遭遇した。


あまり気持ちのいい道ではなかったが、それでも道案内に従って行くと、日笠のバス停から10分くらいで太安万侶の墓の下までやってきた。





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見上げても、かなり急な斜面の茶畑で、しかも誰もいなかったから、一人で坂を登っていった。





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しかし、なぜこんな場所に太安万侶は埋葬されたのだろう?


このあたりに所領をもっていたのだろうか?




太安万侶にお参りすれば、私の文章もうまくなるだろうか?


奈良時代の天才的な官僚だった人だから、それなりに墓参りをしたらご利益がありそうだ。





そんな下心をもって、墓の前に立って手を合わせた。








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振り返ると、目の前は茶畑で、その向こうは田んぼである。


長閑な風景である。


1300年近く経っても穏やかな場所に埋葬されて、太安万侶は幸せだと思った。





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偉大な人物の墓の前で一人、いろんな想いに浸っていたら、いつの間にやら茶畑の下から何人か、人が登ってきた。


この人たちも私と同様、太安万侶の墓にお参りにきたのだ。





聞けば、近所で古事記と太安万侶についての講演があったようで、そのあとに墓までやってきたそうだ。


しばらく、太安万侶の墓の前で古事記の話をしていたが、これは太安万侶がめぐり合わせてくれたと思いたい。





そのうち、ご夫婦が私を近鉄奈良駅までクルマで送ってくれた。


その車中でも古事記について話をした。


短い時間だったが、非常に楽しい時間だった。





そのあと、近鉄奈良駅から飛鳥駅に向かい、飛鳥浄御原宮の跡に行った。


その途中、近鉄電車の窓から、平城宮の大極殿を撮影した。


712年、太安万侶はあの大極殿で古事記を元明天皇に献上したのだ。





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