2011年2月13日の朝10時すぎ。
以前より駅の様子は変わっていないようである。
観光案内で、これから行く聖嶽洞窟を探した。
しかし、あるはずの場所になかった。
聖嶽洞穴について説明をするまでもないと思うが、私自身は20年前、大学生だったった頃、考古学の教授に、「人骨を発掘したい」などと戯言(ざれごと)を言った時、教授からぜひ、聖嶽洞穴に行くようにと言われて、何回か通っていた。
ちなみに、考古学の教授は賀川先生である。
当時は大学の学長をされていたので、学長室にお邪魔して話しをするという、失礼なことを私はしていた。
聖嶽洞穴は、旧石器時代の人骨と石器が一緒に発掘されたということで、高校の日本史の教科書にも「聖嶽人」として掲載されていたほどの遺跡だった。
当時から辺鄙な場所であって、地元の人間でも行ったことがないといわれていた場所だった。
行けば必ず地元住民や駐在所のおまわりさんから「また来た!」などと言われて、変人扱いされたし、当時から決して行きやすい場所でもなかったから、私以外何人の人間が行ったことがあるのかわからない。
まだ20歳にもならない若造の私は、夢と野望を抱いて聖嶽洞穴に通っていたが、数ヶ月もしないうちに考古学で挫折したので、聖嶽洞穴や、賀川先生の部屋から足が遠ざかってしまった。
その後に賀川先生とお話ししたのは卒業式のあとの謝恩会の席上だから、3年近く間があいたことになる。聖嶽洞穴には20年も行っていない。
今回は、その思い出の聖嶽洞穴に、20年ぶりに行ってみる気になって、佐伯駅で特急列車を降りた。
どうも聖岳洞穴に行こうとしたら、賀川先生のことが気にかかる。
私もあれから20歳も年をとってしまった。
駅前を彷徨っているうちに、自分だけのどうでもいい感傷に浸ってしまった。
それに、佐伯の駅前がものすごく寂れているように見えて、やるせないキモチが沸いてきた。
しかし、なぜか時間がものすごく早く経過しているような気がした。
駅のキオスクで缶酒を買って、ベンチで呑んだ。
このまま帰ろうかと思ったが、時間とか費用がもったいないから、観光案内所に行って、最寄の波寄までのバスの時刻を聞いて、発車の10分前に駅前のバス乗り場に行った。
バスの発車時刻は11時05分である。
誰もいないバス停で待っていたら、思ったより豪華なバスがやってきた。
大分行きのバスかなと思ったら、私が乗らなければならない上津川行きのバスであった。
その豪華なバスに乗って、波寄まで行った。
バスは佐伯の街中を、運転士さんと私だけを乗せて走った。
途中でおばさんが乗ってきたが、すぐ降りてしまった。
途中、番匠川や波寄川に沿って快適なバスのドライブを楽しむはずが、佐伯駅で呑んだ酒の影響と、見覚えのある景色を見たときの思い出がこみ上げてきたりして、20年の年月が自分の中で短縮した。
前にやってきたのがつい最近のような気がした。
バスのデザインや風景がそんなに変わっていないのが要因であるかもしれないが、20年の間の出来事が風景の中で思い出されてきた。
幸い、バスの中は、私と運転士さんだけだったし、運転士さんは私の変化に無関心のように淡々とバスを運転していたし、突然現れた新しい建物や、改修された道路がそういった想い出を中断してくれた。
運転士さんと私だけを乗せたバスは、波寄に着いた。
運賃を払いながら、帰りも佐伯駅までバスに乗るので時刻を教えて欲しいと運転士さんにたずねた。
運転士さんは何か書類を見て、親切に時刻を教えてくれた。
波寄の集落は、旧本匠村の中心部であった。
佐伯市に合併された今は、旧村役場が佐伯市の振興局として残っている。
思い出の場所に20年ぶりに降り立った。
目の前の駐在所も記憶と違っていない。
しかし、バスが行き去ってしまったら、私以外は誰もいなかった。
けだるい晴天の日曜日の昼前なのに・・・
この道をまっすぐ10分も歩いたら、なつかしい聖嶽洞穴に行き着く。
道はちょっとよくなったような気がした。
何台かのクルマが追い越したりすれ違ったりした。
途中で出会った地元の方に「こんにちは!」と挨拶をしたら、「あなたは新聞記者さん?」と聞かれたが、「いえ、違います」と答えた。
首からデジタルカメラをぶら下げていたからだろう。
しかし、今の聖嶽洞穴は新聞記者しか行かなくなったのだろうか?
足早に聖嶽洞穴に向かっていたら、見覚えのある山が見えた。
目指す聖嶽洞穴はこの山の中にある。
すぐに見覚えのある看板にたどり着いた。
さて、それでは聖嶽洞穴に行こうと山を見上げたら、入り口近くに丸太が積み上げてあって、山に入るのを禁止しているような雰囲気だった。
近くで農作業をしていた人に、「聖嶽洞穴に行きたいけど丸太があって立ち入り禁止しているようだが」と聞いてみたら、この人も「あなた新聞記者さん?」と聞いてきた。「入ってもいいけど、この辺の者は行った事がないし・・・」というから、それで了解してもらったと勝手に解釈して、山の中に入った。
山に入りながら、賀川先生が機嫌を損ねて「帰りなさい」といっているような気がしたが、洞穴の場所をしっているから、強引に入り込んだ。
ところが、実際に洞穴まで行ってみたら、すっかり荒れてしまっていた。
あまりの惨状を目の当たりにしたら、洞穴の写真を撮ることができず、そのまま山を降りた。
現在の聖嶽洞穴を見たら、賀川先生が、「このままそっとしておいてくれ、静かに消えていくから」とおっしゃっているかのような気がした。
この遺跡は、今では旧石器時代の人骨発見という評価はできないことはよくわかっているが、それでも科学の発達の歴史の中では無視できない存在なのだと私は思う。
考古学では評価できなくても、こういった遺跡の存在や研究してきた過程から、何かしら得るものがあったはずだから、そういう部分を評価してもいいのではないかと言いたい。
年代測定の科学技術だって、過程を経て発展していったのだ。
少なくとも、賀川先生は「神の手」などという汚らわしいものは持っていなかったのだから。
賀川先生のもとから逃げ出した人間が言っても、何も説得力はないけど・・・
もし、この駄文を御覧になって、聖嶽洞穴に行ってみようと思った方がいらっしゃったら、必ず本匠振興局や警察官駐在所に行って、聖嶽洞穴に行くことを申告してから行ってください。
私は場所をしっているから無事に行って帰ってきたけども、地元の方も行かないような場所で、しかも山が相当に荒れているので、看板から先、山の中は相当な危険を伴います。
くれぐれも無届で行くことや無茶な行動はしないでください。
帰りのバスまで時間があったから、本匠振興局に行った。建物の中でテレビの音がしていたので、中に入ったら、女性職員さんがいたので、聖嶽洞穴にやってきたことを切り出した。
突然の訪問者に驚いた様子だったが、この女性職員さんも「聖嶽洞穴には行ったことがない」と言った。
波寄のバス停で佐伯駅までのバスを待つ間、バス停前の雑貨屋のおばさんと楽しく立ち話をした。
このおばさんは20年前もここで雑貨屋をやっていただろうけど、見覚えがなかった。
おばさんは話題が多く、話しをしていても飽きなかった。
もっと話しをしていたかったが、ほぼ時刻どおりに佐伯駅に行くバスがやってきた。
佐伯駅に戻る時間になったのだ。
バスに乗って、おばさんにバイバイと手を振って本匠を後にした。
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