朝のジョギングで近所の緑地に行くと
ご老人たちがゲートボールを
楽しんでいました。


その姿を見ていたら、大好きだった
天国のお爺ちゃんを思い出したのです👼


祖父ではなく、当時呼んでいた
「お爺ちゃん」と書かせていただきます。





あぁ、
お爺ちゃんに会いたいな。


私はお爺ちゃん子でした。


両親が共働きだったため、
保育園の親子遠足でどうしても両親が
仕事を休めない時は、
当時独り暮らししていた
お爺ちゃんに来てもらっていました。



私が高校生の時、同居するために
都内から神奈川県に引っ越しました🏠


大学生になると、よく授業をサボり
ずっと家にいて、お昼の「ごきげんよう」
という番組を観ながら、お爺ちゃんの
部屋のコタツに入り話をしてたな。

授業は代筆でサボり、夕方のサークルだけ行ってた。
かなりのクズ学生でしたね。


戦争の話から、お婆ちゃんと結婚する前の
恋愛の話まで何でも聞きましたし
私の話もたくさん聞いてもらいました。


私が「彼氏に振られた。マジムカつく〜。」
と言うと「あははは!ヨッシーは気が強いからな。怖気付いて逃げちまったんだな。怖いもんなー。俺も怖いよー。あー愉快愉快ウシシ」と何故か楽しそうでした。


あー懐かしい。


また、よく喧嘩もしました。「このクソジジイ!」「なんて孫だ!」とかいう激しいやりとりも時にありましたが、結局はまたコタツに入り話して仲直り。笑


今思うと、私は両親が共働きだったから
寂しかったんだと思います。


私が幼少期に住んでいた地域は
割と裕福な家庭が多く、
母親のほとんどが専業主婦。


我が家は社宅だったので、その地域に住めていました。


小学校から家に帰ってきたら、
優しいお母さんがおやつを
準備して待っていてくれる。
そんな友達の家が憧れでした。


「どうしてうちだけ、お母さんが
働いてるの?」とよく思っていた。
それで母に反抗したこともありました。


現代では共働きは当たり前なんですけどね。
実際は 共働きの家庭は
うちだけではなかったと思いますが
当時はそう思ってしまっていました。


母は働きながら、姉と私を
一生懸命育ててくれました。
愛情もたくさんもらっていたと思います。
それでも、心のどこかで少し寂しかった。
そこを埋めてくれたのが、お爺ちゃんでした。


小学生の頃はお爺ちゃんと同居は
していませんでしたが、会えると
嬉しくて仕方なかったですし、
よく1人でもお爺ちゃんの家に泊まりに
行っていました。


一緒に住むと決まった時、とても嬉しかった。
自分で言うんかい!と
思われるかもしれませんが、
何人かいる孫の中で
私を1番可愛がってくれたと思います。


わがままでも
気が強くても
口が悪くても  ←最悪じゃん。
ヨッシーはヨッシーのままでいい。
存在自体がとにかく可愛い。
そう言ってくれました。


お爺ちゃんは、私が結婚する前に
天国に行ってしまいました天使
孫の姿も見せてあげられなかったな。


結局、孝行が何もできなかった。
ごめんね、お爺ちゃん。
でも今も大好きだよーおーっ!!!


もし、私に子どもが産まれたら
絶対お爺ちゃんのお墓に会いに行こう。



そんなことを思いながら、
帰宅して号泣したのでした。


ゲートボールを楽しむご老人たちを見て
これほどまでに思いを馳せて泣くなんて、
どうやら今、情緒が不安定のようです。笑