先日、「演劇で伝える諫早の歴史」の脚本部有志の皆さんが、【土橋貞恵(つちはしていけい)ゆかりの史跡探訪 】をされました。
その内容をお伝えします。
※時々「貞恵翁(ていけいおう)と言いますが、土橋貞恵が90歳まで長生きしたことへの尊敬の思いを込めての表現です。

まず、案内をしてくださるN様から説明を受けました。
史跡が残っていることで、後世まで偉業が伝わるとの旨のお話が心に残りました。

諫早の眼鏡橋からスタート。
左の道を眼鏡橋にそって歩いていくと…

土橋貞恵の作ったくじら橋が眼鏡橋のすぐ裏側にありました。
ふっくら丸い太鼓橋です。

くじら橋の説明の銘板。
実は、諫早高校と諫早商工会議所の間にも、くじら橋はあります。

もともとここに先ほどの諫早公園にあった橋がかけられていたそうです。
この橋はモニュメント的なものでしょうか。
ちなみにこの欄干の対になるものは、道路をはさんで反対側にありました。

現在の諫早市役所のほぼ正面あたりにある、土橋貞恵の頌徳碑(しょうとくひ)。
ここは旧諫早小学校の校庭で、貞恵のことを多くの人に知ってもらうために、また賞賛する意も込めて建てられたそうです。
元々、好古館(こうこかん)という領士子弟の学校があったところで、貞恵は高額な寄付をしたといわれています。
名字と名前が逆に「貞恵 土橋」とほられていて、みんなで「何でやろうね~?」と思案。

東本町にある、現在の湊橋のところに、田代橋がかかっていたとのこと。
生涯で諫早近辺の40以上の橋を作ったそう。

埋津(うめづ)橋。
梅津橋とも書くのかな?
半造橋も貞恵翁が架けた橋とのことでしたが、道が違っていて写真は撮れませんでした。
看板もあり、大きな橋です。

生家跡。
貞恵翁は東長田村、今の長田町生まれ。
現在はアパートが建っています。
入り口の小さい橋は当時のものではないかとのことでした。

生家跡にある説明板。
確か長田保育園の前あたりでした。

段堂(だんどう)橋。
写真左側は長田中学校です。

土橋貞恵翁胸像 。
森山健康福祉センターにて。
貞恵翁のことを調べるなかで知り、見にいきたいなぁと思っていた胸像なので、見ることができてうれしかったです。

多助(たすけ)橋。
慶師野川添い、森山健康福祉センターからすぐのところ。
貞恵翁の小さい頃の名前は多助。
「多助ぼっさん」と呼ばれてたそう。
こんなにたくさんの橋をかけて、その名の通り「多く助ける」人生であったことにみんなで感動しました。

森山東小学校にある、土橋貞恵顕彰碑。
毎年、貞恵翁の命日の5月9日には、森山東小学校、森山西小学校、森山中学校の生徒さんたちにより、劇をされているそう。
地元の方たちに愛され続けています。

土橋貞恵の医院跡。
今は持ち主が違うとのことでそばまでは行けなかったけれど、医院跡の石垣がまだ右の方まで続きます。

ここまでありました。
(わかりづらいかな?)
かなり大きい医院だったことがうかがえます。


土橋貞恵翁墓所。
急斜面を杖をついて登ること約4分。
貞恵翁の眠るお墓に着きました。
自分のお墓に、鳥や動物たちが来たときに水が飲めるようにとの配慮がありました。
ここも土橋貞恵のことを調べるとよく出てくるところなので、来ることができてよかったです。
たくさんの偉業を残した土橋貞恵の遺跡めぐりに参加させていただき感謝です。
来年の5月には、この土橋貞恵が主役の演劇が公演されます。
どんな劇になるのでしょうか?楽しみです。
是非、諫早に「演劇で伝える諫早の歴史」の舞台を観にいらしてくださいね!!
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