秋風塾を出た3人(ボクテ・小宮裕子・鈴愛)の力関係はあなたにも見えただろうか?なに言ってんだか~。「半分、青い。」はそんな番組じゃないってあなたは思う人ですか?そんな観方に対してボクテも小宮裕子も「我が意を得たり」と喜ぶだろう。だがそれは私の人生観にないものだ。ボクテとも小宮裕子とも異なる人間の道を鈴愛に歩んでほしい私なのです。
生き物の本能として他者に勝とうとするのは分かる。勝とうとしない生きかたも分かる。ボクテにも裕子にも勝とうとする生きかたが見えて、鈴愛には勝とうとしない生きかたが見える。そして勝とうとする生きかたを求めるのをプライドとして定義している? 鈴愛にはプライドがないという設定で、そのプライドがない鈴愛に私は誇りを感じる。プライドと誇りは別物か?
あなたはプライド派だろうか?誇り派だろうか?こんなこと突然言われて困っちゃうかも知れませんね。ボクテと裕子と鈴愛のトリオの存在価値はソコかも…ね?プライドと誇り、そのココロは内面?外観?これで私が欲しい「解」は得られた。あなたは内面重視の人だろうか?外観重視の人だろうか?鈴愛が大事にするのは外観でなくて内面だ。(蛇足だが)私もそう。笑
内面重視の鈴愛がナンデ秋風羽織を捨てて外観派の二人に振回されるんだよ…ってのはナシね。だから若い鈴愛なんだ。若さとは未知の世界へ飛込んでいく存在を意味する。これが外観派には分らない。28歳の鈴愛は若くない。若くない鈴愛の資産価値は下降線をたどっている。鈴愛はもう詰らなくて魅力もない。魅力ない鈴愛に外観派が勝った。分るかい?
これが内面重視の私なら外観重視は老害だとまでは言わなくても、若さがない真実は隠しようがない。己は全うに動かなくて、それで勝つためには敵の足を引っ張るほかないだろ?ここで敵は鈴愛だ。外観派の老害が仲好しと名づけた敵…鈴愛。そりゃあ、美味しいご馳走を嫌いだなんて誰も云うまい。大好きなご馳走の鈴愛だもの。己の足元にいる鈴愛だもの。
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北川悦吏子は最強★彡 そんな想いがどんどん強まる。外観派の足元に倒れた内面派を設定するなんて、しかもその外観派をモノともせず…でなくて、内面派を強くする大役を担っていく外観派の発想は多様な現代社会を活かして人類が生きのびるためにどうしても欠かせない重要な視点。すなわち、あいつは要らんという外観派思想とは真逆の発想に基づく。