「手放すって次の希望」
きょうこころに留まったことば。
わああ。。
お花の剪定をして気がついたそうです。
切ったところからあたらしい枝葉がちゃんと準備していること、
その様子から、
手放すって次の希望なんだと思ったと。
ほんとうに、そうだなあ。
手放すということに
どこかさみしさ心許なさを思うこともあるけれど、
その先へ目をこころを向けてみれば、
そうばかりでもないのかもしれないって気持ちになってくる。
そして、手放すことがいま容易じゃないのなら、無理して「すべき」にするものでもない。
誰かに言われてするものでもない。
まだ持っていたい、握りしめていたい思いも、ときにあるのだ。
ブロックやブレーキって言われるものもそう。
止めてくれているもの。
自分を守るため、なのです。
こころがそうと言うなら
そのとき、ありがとうの気持ちで手を放そう。
あって大丈夫、だから。
自然は真理だ。
教えくれること、見せてくれることがいっぱい。
きっといつもそうなのだろう。
でも気づくも受けとるも考えるも
ぜんぶ自由でさまざま。
ひともタイミングも中身も。
ひとこと、
ひとつのフレーズ、から
思い、考えはいろんなところへ波及していく。
わたしはまたやっぱりこうして、こころのこと、自愛のことでした。