ご無沙汰でした。
体の具合が悪かったわけではありません。
祇園祭ネタで特筆ネタがなかったのです。
八坂神社本殿が国宝指定という大きなことがありましたが新聞等で細かく報道されていましたし。
読売新聞より
京都新聞より
ただ、1月の官報記載で公式に「国宝」ということだそうです。それまでは八坂神社も氏子地域も山鉾連合会も公的な祝賀行事は行わない、とのことで、特に八坂神社では「それよりも今、頭を悩ましているのは『おけら詣り』と『初詣』の対策」と窺っています。
コロナ対策で、上は国・自治体から下は町内会・親睦団体まで、対策にも対応にも温度差がありますね。山鉾町でも船鉾は9月から、南観音山は10月(オンライン含む)からお囃子練習を再開されていますが、函谷鉾囃子方は10月の役員会で医療従事している役員の助言から「年内は練習会を行わない。年明け以降は情勢によって役員会で決め、私的を含め忘年会・新年会は行わない」との決定を維持していくことになりました。
函谷鉾の祇園囃子は3月から一切行っていません。
ベテランはともかく若手、特に近年入会の鉦方の少年(今年入会の子は未だ囃子すら聴いていない)、太鼓方、笛方になったばかりの青年は自宅などでの自主練習をするしかありません。元々、太鼓方・笛方に昇格するときは鉦方として最後の巡行が済んだ『足洗い(慰労会)』の席上で太鼓方・笛方の最年長者に昇格の意思表示の挨拶をして認められれば翌年の祇園祭まで最年長者宅に伺って、翌年7月までに“全体練習に参加できる音を出せる”ようにせねばなりませんでしたが、近年は就職による遠隔地勤務、大学入学などでそれもままならなくなり、個人練習する河原やカラオケボックスの場所も少なくなってきました。
そこで「初心者向けのテキストを作ろう」となり、11月22日に撮影がありました。
鉦方は、小学校低学年でも解る基本(鉦すりの握り方、鉦の持ち方、打ち方、譜の読み方、掛け声など)を。
太鼓方は、バチの持ち方、基本的な打ち方、姿勢、などを。
笛方は、持ち方、歌口の当て方、指使い、などを。
それぞれナレーション入りの映像で数台のカメラを駆使した分割画面で構成しています。
基本中の基本ですが家の中でできることをしておいて全体練習に臨めるような配慮です。
コバやんも請われて5曲ほど、9ヶ月ぶりにバチを握りました。
函谷鉾祇園囃子CDの音源に合わせて太鼓だけを打つという、いささか慣れない(普段は二人打ちなので相方の動作などが見える。
コバやんは最年長なので相方がコバやんに合わす)録画でしたが、亀の甲より年の功、テイク2無しの1発OKでした。
Go to トラベルで赤穂温泉へ行ってきました。
できるだけ密を避けるため「行った日は赤穂城、帰る日に姫路城」あとは温泉という企てでした。
往路は新大阪まで「はるか」山陽新幹線こだま個室で相生→播州赤穂で出発は通勤ラッシュのあと。
部屋からの夕日です。
朝の露天風呂。海水面とほぼ同じ。
姫路城もソーシャルディスタンス?
通称「将軍坂」
京都国立博物館で開催されていた「皇室の名宝」展に次男と行ってきました。
密を避けるための事前予約制でしたが、中へ入ると、熱心に観覧される方ばかりで結構な行列での観覧でした。古文書は読めないので、もっぱら絵の鑑賞。若冲の絵がやはり迫力ありました。
京都国立博物館には郭巨山の「林指峰寿叙文」見送の保管して頂いていますが、それとは全然関係なく、お目当ては売店で売っている「日本史小典」(日正社発行、税込1100円)。
40年ほど前に買ったのですが、現在は7訂版(2019.7)が売られています。
手帳サイズで年号と西暦の照し合せはもちろん、歴代天皇、為政者、人名簿、数え方、仏像、毛筆の略字、家紋ほかいろいろ詰め込まれていて、義務だけで参加の講義や会議で手帳を見ているふりをして時間つぶしに丁度よく、思い出せないときの確認に間に合います。
11月18日は郭巨山町の三大行事のひとつ「お千度」参りがありました。
例年5月の連休に行うのですが今年は「一応秋に日延べ」としました。
八坂神社もコロナ対策のうえご祈祷、結婚式、七五三など行われるようになり、開催できました。
郭巨山町にも「お千度札」はあったのですが「昭和5年新調」の古いもので、札には「郭巨山町」と裏面に当時居住者のお名前が書いてあり、もはや町内に居ない人ばかりなもので、この数十年は八坂神社でお借りした札での「お千度」でした(札を3枚持って、本殿裏→本殿と一周するごとに1枚を箱に入れ、都合3周する)。
今年町内会長のコバやん。以前から「せっかく町内に札があるのに・・・」と思っていたので、残されていた札から3枚以上同一氏名の方の4枚目以降の分を現在の世帯代表の方の承認を得て裏を削り、その削った札の世帯子孫の現居住者の名前を書いて頂くことにしました。
9月から一枚々々丁寧にカンナで削らせていただき、子孫の方にお渡しすると、皆さん喜んでいただきました。
飛び入り参加者用に「家内安全」「無病息災」「町内安寧」の3種類(3周分)も作成しました。
本殿西側にあった茅の輪が東側に移設されていましたが行列ができるほど人が戻ってきました。
龍水も復活していました。
この3ヶ月、ほかに取り組んでいたのが「郭巨山の歴史」の纏めでした。
公益財団法人郭巨山保存会となったのを機にコバやん手持ちの郭巨山資料をまとめて、関係者に見て頂こう、話が進めば小冊子にして配布しようと作業を進めています。
明応9年(1500)の郭巨山の初見からの郭巨山の出来事(懸装品新調など)と古文書の写真の添付、巡行記念写真(昭和29年~)、昭和後期以降製作の扇子・手拭いなどの縁起物、郭巨山町の地図、歴代役員と当番、郭巨山の祭事、会所見取り図、ほかを120ページ、一応の草稿ができました。
もう一つ、役員で取り組んでいるのが町会所の改築です。
郭巨山の会所は四条通の南側。明治後期に市電を通すために四条通が拡張され、南側が削られたために町会所は「表の間」が無くなり四条通に顔を出した「中の間」を使っての宵山展示公開でした。
蔵の棟木に「昭和5年」と書かれています。
宵山に郭巨山の会所を訪れられた方は、お飾り場が狭く懸装品が重なって、覗き込んでも御人形も見送も後掛も見えないことをご存知かと思います。
なんとかならないかと、現在、改築を検討しています。
まず、二階を増築増床して、会議の開催、祭事中の休憩、山舁きの着替え、供奉者の裃着替え、などに使って、1階は普段も祭事中もストックヤードとしている3畳ほどの奥の間と繋げて展示場を広げようと考えています。
赤色斜線の部分に部屋を作る予定
ただ、奥行きだけが増えても“遠くに垣間見える”だけなので、鯉山さん、役行者山さん、霰天神山さん、孟宗山さん、八幡山さんのような“通り抜け”にすれば間近に見て頂けるのでは、という計画もしています。
新築も検討しましたが、セットバックのうえ鉄骨鉄筋の厚さで、より細くなってしまう懸念があり、収益ビルにすればエレベーターと非常階段にスペースが取られてしまい、また管理の大変さ、祭事中に神様(祭壇)の上に営業所(テナント)が居るのは避けたい、との意見もあり、現時点では改築案に賛意が集まっています。
また、改築なら各種支援・助成金が見込める利点があります。
今の財政上の身の丈に合った改修に留め、次代の担い手に債務を残さないように話を進めています。
早ければ来年の、遅くとも再来年の祇園祭が済んだ8月から工事に取り掛かり、翌年の祇園祭にはご披露できればいいな、と思っています。
季節は晩秋から初冬へ。
東本願寺前の銀杏の落ち葉も増えてきました。
11月16日
11月23日
あとひと月で年が改まります。
令和2年を表す漢字は何なのでしょう。
コロナを一字で表す漢字は何なのでしょう。
来る令和3年が皆様にとって、私にとって、良い年でありますように。