河原枇杷男の俳句 | ここはいいところ

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「ここはいいところ」の「ここ」は私が行った場所であり、人生の一場面でもあります。
人生という旅のなかで、自分がよかったと思ったところやことを記録し、人に伝わればいいなと思います。
1か月に2~3回は新しいブログを書きたいと思います。

 このブログの2020年9月16日、「「私」は一つではない」において「我を意識しようとすれば、我は意識する主体と意識される主体になる、さらに意識しきれない我も意識する、意識する我は意識する限り対象化できる我とできない我に分裂してゆく、そして、我を分析すると多くの未知の我を意識せざるを得ません。」と書きました。自意識の認識と扱いは未だに私の人生の大きな問題です。自分とは何か、自分についての既知と未知と非知とは何かが問題なのです。

 しかし、そのような事柄は俳句では扱えないし、扱っていけないと思っていたというより、思いもよりませんでした。

 

 それが1月に河原枇杷男の句と出会い、驚きました。俳句に「我」「われ」が登場し、分裂する自我の世界を俳句化していました。私は真似をしてそのような句を作り始めるとともに、河原枇杷男の句の全貌を知りたい、知らなければ同じような句を作ってしまうと思い、『河原枇杷男全句集』(序曲社2003年)を読みたいと思いました。

 しかし、インターネットで調べた限り、神奈川県内の公共図書館や主な大学図書館には所蔵されておらず、東京都と神奈川県では国立国会図書館と都立多摩図書館が所蔵していました。そして、2月に都立多摩図書館に行きたいと思っていましたが、新型コロナの影響で閉館となり、開館するようになっても1日の利用は3時間までということで、11月、神奈川県立図書館に国会図書館の本を借りていただきました。貸出はできず、職員がいるカウンターに近いところでの館内利用となっているため、コンピュータを持参して、2日に分けて十数時間かけ、730句を入力しました。

 河原枇杷男は「我」「われ」が入る句もつくりながら、当然、それ以外の句もたくさん作っており、感銘を受けた句がたくさんありました。なかでも、自己の内面の情念や感慨、あるいは自己の意識世界のなかでの光景や事件を喩として形象の組合せで作った句はたいへん勉強になりました。

 全句集の最後に枇杷男自身による「覺書」にはご自身で次のように書かれています。「自然との対話をぬきにして、いかなる芸術も生まれてくることはないが、俳句を書くとは、自然と深く照応しながら言語と耿耿一片の詩型を拠りどころに、この生と存在の秘密にせまらんとするわりなき営み、それはまた全人的な光と闇のドラマを通してもうひとつのコスモスを夢みることであろう。」

 図書館で俳句を入力しながら、句によっては変換できない漢字があって苦労したり、どう理解したらいいのか困惑しながらも、ときに感激したり陶然となったり、ときに茫然となりながら、味わいました。

 

 河原枇杷男の「我」「われ」がある俳句をいくつか紹介します。

(*はとくに感銘を受けた句です。)

 我とわれすれ違いゆく片かげり    『烏宙論』

 野遊びにわれの見知らぬ我もゐし  『烏宙論』 *

 枯草に二人の我のひとり棲む     『密』

 一つ葉嗅ぐ我にひとりの遍路棲み  『流灌頂』

 菫摘むわれに逢ふこと怖れつつ   『訶梨陀夜』*

 漂へり我よりわれへ鵙ひとつ     『訶梨陀夜』

 我とわが尾をもて余す西日かな   『喫茶去』

 我をわれ又訪ねくる虎落笛      『阿吽』

 年の暮ときどき我を君と呼び     『阿吽』   *

 

 そのほかの句で感銘を受けた句です。

 身の中のかつ暗がりの螢狩り    『烏宙論』 *

 蝶交む一瞬天地さかしまに      『烏宙論』

 野菊まで行くに四五人斃れけり   『烏宙論』 *

 何もなく死は夕焼に諸手つく     『烏宙論』 *

 死の襞をはらへば籾ひとつ籾落ちぬ『烏宙論』

 外套やこころの鳥は撃たれしまま  『烏宙論』 *

 まなうらに蝮棲むなり石降るなり   『烏宙論』 *

 誰も背に暗きもの負ふ蓬摘み    『密』

 或る闇は蟲の形をして哭けり     『密』   *

 身のなかを北より泉ながれけむ    『密』   *

 枯野くるひとりは嗄れし死者の声   『閻浮堤考』

 身のなかの逢魔が辻の螢かな    『閻浮堤考』

 昼顔や死は目をあける風の中     『閻浮堤考』

 割つてみよや頭蓋のなかは星月夜 『閻浮堤考』 

 秋の暮こころ綾取りして居りぬ      『閻浮堤考』

 呼べば又出てくる死者や日向ぼこ  『流灌頂』

 鳥雲に一言語より雫かな           『流灌頂』    

 てふてふや水に浮きたる語彙一つ 『流灌頂』

 われ亡き昼北へ北へとあやめ咲き 『流灌頂』

 月天心家のなかまで真葛原      『流灌頂』 *

 昔より我を蹤けくる蝶ひとつ        『訶梨陀夜』*

 天の川われを追ひくる誰も亡し     『訶梨陀夜』

 くれなゐの夢より蝶かひとつ堕つ   『訶梨陀夜』

 誰かまた銀河に溺るる一悲鳴     『蝶座』

 蛇苺われも喩として在る如し       『蝶座』  *

 冬の川こころの汗ふと匂ふ        『蝶座』

 我をもて一行詩とせむ雲に鳥      『蝶座』

 我が敗走わがこころに葛咲きみだれ『蝶座』

 鳥雲に石は千年答へざる         『蝶座』

 枇杷男忌や色もて余しゐる桃も    『蝶座』

 死にごろとも白桃の旨き頃とも思ふ 『喫茶去』

 秋深し象の形の句もできて        『喫茶去』 

 狗尾草ははるかな声にまたそよぎ 『喫茶去』

 実朝忌到るところに谺棲み       『阿吽』

 冴え返る星も故国を探すかに     『阿吽』

 この寂しさ俳句のごとし潮干狩     『阿吽』

 赤黄男忌や又物質の一悲鳴     『阿吽』

 俳句ちふ淵や在るらし星の秋     『阿吽』

 重信忌俳句にも飽き我にも亦     『阿吽』  *

 

 河原枇杷男が全句集を出した2003年は、彼が73歳のときです。インターネットで調べた限り、それ以後の彼は少なくても俳句については沈黙を守ったままのようです。2008年には第4回正岡子規国際俳句賞で俳句賞を受賞しています(大賞は金子兜太)。

 全句集の「覺書」では「この一巻は歩みの果てに否応なく見出される己れの墓碑でもあろう」と書かれています。

 

 いずれにせよ、この経験が少しでも身になり、何らかの成長をもたらしてくれればと願っています。また、いつの日か、河原枇杷男論のようなものを書くことができたらと思います。