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彩です。




今日は神仏との関わりでも
自分軸を大切にしたいと思う一件についてです。


「見えない力」ある方 に聞くところによると、

私は「自分軸」をあえて持って来ずに

生まれてきたのだとか。







そもそも「自分軸」とは何なのか。


自我とか真我とか難しいことも


頭によぎりますが…



私が思う「自分軸」とは


「他人に何か言われても揺らがないこと」


だと捉えています。



ここは私は実は人にアイデア出されるとすぐに


「そうかも〜!それ、してみよう!」


と、乗っかるタイプなんですが爆笑



何か違うな、ということを言われた場合の


「揺らがない」


と捉えてもらえればと思います。









で、神仏とどこに関係してるのー?


ってとこですが、


私は今までの過去、神仏の言うことは


「ぜったい正しい」


と思っていたのです。


「受け入れるべき」


とも思っていました。


でも「必ずしもそうでは無くて良い」


と学びました。



私は神仏に対しての信仰心が強いので


ここに至るまでちょっと時間がかかりました。






神仏の言葉を聞けるようになってから


まだ間もないので


本当に神仏なのか怪しい時があります。




私は「廃れたお寺」に参るように


促されました。



「廃れたお寺」…




苦手!



こらーっと怒られそうですが


苦手なのです。


華やかな神社仏閣が好きなんです。




厳しめの声がして参るようにいわれました。



でもここに宣言します。




「行きません」


ごめんなさい。







最初は罪悪感でしたが、


迷っていたら



「決めなさい。宣言しなさい。」


と、倶利伽羅の大日如来さまが言ってくれました。






大日如来さまは行くな、とは言いませんでしたが

行きたくないなら辞めなさい、と言いました。







私は私のために神社仏閣を参拝していいのだ


と自分に許すことにしました。


小さなお寺を参るのは「使命」だとも言われました。

でもごめんなさい、行きません。




「自分軸」を持つことについてでした。


今日は宣言のためのブログとなりました。





お読みいただきありがとうございますにっこり